タイ国の意味は、タイ語で「自由」だという。パンフレットの食事メニューをみれば、自由の国のイメージにピッタリの感じを湧き起こさせる。15年ほど前にバンコクとチェンマイを訪問したが、香辛料の匂いが気になり、食が進まなかった記憶がありチョッピリ不安だった。
一般家庭には、台所のないのが定番だそう。理由の一つには、住宅事情が窮屈で、友人同士、仲間同士、親せき同士などで、ひとつの部屋を共同で借りる習慣があるという。このことも一因に感じる。
ガイドさんの「昼食タイム案内」に笑いが起こった。「日本人は食事をする時間が短い。昼食時間は15分で十分。でも45分取ります」。欧米などの観光客は、食べたら休む時間が必要で、2時間近くをセットしなければ抗議されるという。食事だけではなく、駆け足で観光地を余裕なく回るのが日本人だと忠告された。
「サラリーマン・アパートの合理性」
ガイドさんが立派な高層アパートを指して、「サラリーマン世帯のアパートには、台所のないのが普通です」と説明。街中の店や露天、屋台で調理されたものを買い、それを食べるから台所が不要だという論法。言われてみれば合理的にも思える。
ご飯におかずをのせ、汁をかけ、混ぜ合わせて食べる食事は、食器もあまり必要ではなさそう。台所が不要、食器が少ないので茶ダンス不要、これだけでも合理性があると思う。食事に関わる合理化改革の手本になりそうです。
「調理されたおかずがズラリ」
市場をのぞいて見た。日本の市場とは、並べてある商品に大きな違いがある。日本だったら調理する一歩手前の材料を売っている。しかしタイは、調理されたおかずが、ボールに入れられズラリ並べてある。お客が好きなおかずを買い求め、それをご飯と混ぜてたべるのでしょう。
おかずの種類の組み合わせをじょうずにすれば、栄養のバランスがとれるようになっていると思う。街で見かけるタイ人に肥った人は余り見かけないということは、食事がうまく馴染んでいるということでしょう。
「無防備調理の屋台繁昌」
早朝から屋台は大忙し。都会でも田舎でも、屋台の数は星の数ほどに思えるほど多い。屋台は、その場で食べる人も見かけるが、大部分は持ち帰って家や勤め先で食べるようです。
簡素な屋台で調理するとなれば、年中30度を超す亜熱帯地帯を考えると、食品衛生が心配される。しかし、ハエがいない、そして虫が超少ない。病原菌を媒介する虫のいないことが、路上で無防備とも思われる調理を可能にしているのかも知れない。
「児童生徒も屋台利用」
朝の食堂を見ると、小学生や中学生が食事をしている光景を目にする。サラリーマン家庭の子供さんなのでしょう。子供同士が楽しそうに食事をしながら会話を楽しんでいる。日本だったら、親といっしょに食事をしながら会話をすることが美徳だが。でも、朝の子供同士の会話も、子供の悩み解消の一因になるような好ましさを感じた。
バンコク市内小学校の昼休み時間の光景。学校前の屋台で、昼食のソーセージを買い求めている児童がいた。ガイドさんの説明では、学校給食制度がなく、パンや弁当持参もOK、屋台や食堂を利用するのもOKだという。日本だったら、栄養バランスなどの抗議が、行政に ・・・・ と思う。万事が、国の名の意味「自由」、そして自己責任なんですね。
その2へつづく
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