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◎「百年後の豊かな森づくり」大野町少年の主張大会・大澤千晶さん



  ジャン・ジオノ著 「木を植えた人」 はさまざまなことを教えてくれます。あとがきからピックアップして記してみます。

  この本は、各国で多くの人に励ましを与え、繰り返し繰り返し読むという人、読んだあとなんともいえないふしぎな平安につつまれていることを感じる人も少なくありません。それはジオノが伝えているほんとうの主人公、宇宙にみなぎる生命と調和の源である存在、を私たちも感じるからではないでしょうか。

  「木を植えた人」は激しい、英雄的に見える好意を描いているのではないことは無論ですが、「あなたもできることをできるときに少しづつしましょう」といっているのでもありません。ほんとうに世を変えるのは、権力や富ではなく、また、数と力を頼む行動や声高(こわだか)な主張でもなく、静かな持続する意志に支えられた、力まず、目立たず、おのれを頼まず、速効を求めず、ねばり強く、無私な行為です。

  2月7日 大野町中央公民館で「少年の主張大会」がありました。萩野小学校6年の大澤千晶さんは「百年後の森づくり」と題し発表しました。千晶さんのお父さんは萩野小学校の校長さん。転勤の定めがあるなか、積極的に地域の行事に参加する姿勢は、「木を植えた人」の本に共通する何かを教えてくれます。

大野町は、子孫の時代が今以上に環境に恵まれ生活できることを願い 「百年の森づくり」 に力を入れています。森づくりは、町民だけに恩恵を与えるにとどまらず、近隣町村、しいては地球温暖化防止という・・・・・・。とすれば、どこに住んでいようとも「木を植える」ことは・・・・・・・。


    「百年後の豊な森づくり」   萩野小学校 6年 大澤 千晶 さん

  皆さんは 「ブナの木の種」 見たことがありますか。私は、おととしの秋、きじひき高原で行われた 「ブナの木の種」拾いに参加しました。

  それまで、私は、「ブナの木」がどんな木なのかまったく知りませんでした。それどころか、木に種ができるということさえ初めて知りました。では、なぜ「ブナの種」を拾わなければならないのでしょうか。母に聞いてみると、次のように教えてくれました。

  平成14年は、ブナの木の5年に一度の豊作の年で、樹れい、推定250年のブナの木にたくさんの実ができ、その実から落ちた種を拾い、各家庭で育てて、2005年の植樹祭できじひき高原に植樹するためだそうです。

  種拾いの日、私は参加した人たちと一緒に三角形の形をしたブナの種を拾い、何粒かいただいて家に持ち帰りました。タネを一晩塩水に浸して、沈んだタネの中から10粒ほどを選び、2粒ずつポットに入れて家の花だんに植えました。でも、残念なことに、春になっても、秋に植えた種からは全く芽が出ませんでした。

その時、コスモスやチューリップの球根のように、植えっぱなしにしていて芽が出てくる花とちがって、ブナの木のさいばいは難しいなと思いました。厳しい自然の中で、ブナの木からこぼれ落ちた種が芽を出すことができるのは、本当に幸運なことだと思います。また、自然の中で育つ木々が大きくなるまでには、とても長い年月がかかることもわかりました。

  さて、皆さんは、毎年5月にきじひき高原で行われる植樹祭に参加したことはありますか?。大野町だけでなく、函館や近くの町から、千人近い人々が集まり、数千本もの若木を植えるのですが、山のしゃ面の硬い土をスコップでほって植えるのは大変な作業です。

父に聞いた話ですが、植樹祭で植えられた木は、百年後、たくさんの葉を付け、その葉が秋になって地面に落ちて土になり、その土の中にたくさんの水と養分を貯めて、自然のダムの働きをするのだそうです。

そして、きじひき高原から大野川を下り、函館湾の水をきれいにするだけでなく、海の中の昆布や魚にとっての栄養分を増やすことができるのだそうです。

  日高地方の「えりも岬」の漁師さんたちも、長い長い年月をかけて森に木を植え、赤くにごった海を青い海に変え、昆布がたくさんとれる海にしたそうです。

  きじひきの山も簡単には大きな森にならないかも知れません。でも、毎年、植樹祭などで若い木をくり返し植えることで、森を育てていけたら、やがては、すき通った水の流れる川をつくり、豊かなふるさとの海をつくることにつながるのだろうと思います。

  「私の植えた若木」 がやがて大きくなり、たくさんの種を付けるようになればいいなと思います。皆さんも、百年後の大きな夢、かけがえのない豊かな森を育てるために、一本の木を育てたり、植えたりしてみませんか。

 


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