禅の言葉に 「せいせいじゃく」 というのがある。目を覚ませ、という意味だという。毎日毎日が、まるで目をつむっても出来るような同じことの繰り返しで過ごしていたらなおさらのこと、今こそはっきり目を開いて自分の行いを見直してみてください。目を覚ましたあなたはきっとイキイキとして輝いているはずです。と禅語の本に書かれている
志ネットワークの上甲晃代表が、戦後50年を経過した今、「日本伝統の精神」をおさらいすべしと語っている。そして新しい価値観を見つけることが急務であると説く。それには、先人の歩んできた道に目を向けることが・・・・・・・。私達も、「目を覚ませ」を考えてみましょう。
今 五十年単位の転換点に立つ 志ネットワーク代表 上甲 晃 さん
「高度経済成長に酔った社会人時代」
私が松下電器に入社したのは、昭和40年。オリンピックの開催を契機として、日本ははっきりと高度経済成長時代に入った。私の入社した松下電器の当時の売り上げが、二千億円程度。それから三十数年、今や松下電器の売り上げは八兆円。まさに、私が在職中、会社は伸びに伸びたのである。
給料も上がりに上がった。入社した時の給料が二万四千円。それが退職の頃には、百倍近くにまで上がった。春闘の時、満額の回答に、組合まで度肝を抜かれたこともある。
福祉も年々充実し、労働時間も短くなった。「欧州を抜いてアメリカ並み」。そんなキャッチフレーズがまぶしかった。夢のようなスローガンも、現実のものになった。
保険も、年金も、住宅も、健康維持も、すべて会社に任せておけば、何の心配もなかった。会社が大きくなるから、若い人たちもどんどんと登用されて、要職についた。
海外展開が急ピッチで進むので、海外に勤務する人も増えた。夢は叶うもの、生活向上するもの、会社は伸びるもの、地位は上がるもの、そんなサラリーマン生活に、浸りきった。
「陽の時代から陰の時代へと転換」
おかげで、私達の世代は、経済発展を唯一の目標として、がむしゃらに働いてきた。そして気がついてみたら、戦争で何もかも失ったはずの日本が、世界第二位の経済大国になっていた。振り返ってみたら、経済発展一途に一気に駆け上がってきた五十年、六十年であった。
私は、今、自分の歩んできた時代を静かに振り返っている。それは、過ぎ去った日々への郷愁からではない。「過去を探求することは、未来を拓く道筋を知ること」と思うからこそ、自分が歩んできた道を振り返り、これからどのように進むべきかを読み取ろうとしているのだ。
昨年末、山口県萩市を訪問した時、市長の野村さんは、「歴史を振り返れば、未来が見える」と言った。あるいは、「歴史に対する洞察力がなくなると、その国は滅びる」とも言った。まったく同感である。
私は、これからの五十年、日本の国は、私が今まで歩んできたのとは様相が異なる時代に入っていくと予感している。私が経験してきたことを裏返したような時代だ。給料が上がる一方に対して、これからは横ばいか、減り始める。充実一方の福祉はどんどんと切り捨てられていく。会社にすべて任せておけばよかったものが、逆に、何の面倒も見てもらえないようになる。
陰陽二行論。今までの時代を「陽」の時代とすれば、これからは、「陰」の時代だ。「陰」と言っても、暗い時代ではない。木に例えれば、「陽」は枝葉を言う。それは見栄えも良く、きらびやかで、華々しい。それに対して、「陰」の時代は、幹や根っこの時代だ。
「すべて 根本に立ち返るべき時」
私達は、今一度、根本に立ち返る時代を迎えている。「何のために生きるのか」「何のために働くのか」「何のために経営しているのか」「教育の根本は何か」。すべて、根本に立ち返る時代である。それこそが、「陰」の時代である。
「陰」の時代を生き抜くためには、自らの価値観を転換しなければならない。大きくすること、伸ばすこと、広げることは、価値観として古い。これからの価値観は、掘り下げること、極めること、深めること。成長の価値観よりは、成熟の価値観。若さよりも老練。知識より知恵。
価値観を変えなければ、悲劇的な局面も、価値観を変えれば、大きなチャンスである。とりわけ、私のような高度成長の遺伝子を徹底して刷り込んできた世代は、よほど覚悟して、価値観を変えなければ、悲劇的な人生の最後を送ることになる。
五十年単位の大転換期。私は、そのように今をとらえている。そしてそれに対応するためには、自らの根本的価値観を変えることに挑まなければならないと思っている。さらに言えば、「私欲を超えて、世のため・人のために生きること」が生き延びる最大の処方箋だと決めている。志だ。
「今こそ高邁な精神を取り戻すチャンス」
価値観を転換するために、今一番必要なことは、戦後解体されてしまった日本の伝統の精神と誇りを取り戻すことが急がれる。私達が日本人である限り、「日本人の精神」を無くして、いかなる価値観の転換もありえない。
日本人であることを捨てて、世界に通用する誇り高い国民にはなりえない。「陰の時代」は、見方を変えれば、哲学の時代。哲学の時代を迎えたら、先人の歩んできた道に目を向けること。解体された伝統の精神を立て直し、高邁なる精神に立ち返る大チャンス到来だ。
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