北海道新幹線は、平成17年度から工事が着工されることになりました。大野町にとっては長年の夢が現実となりました。終着駅は大野町に設置される 「新函館駅(仮称)」 です。その新駅は、現在の渡島大野駅付近に造られます。そこで、駅の由来を探ってみます。
「渡島の鉄道」
渡島の鉄道は、明治35年12月10日・函館駅と本郷駅(現渡島大野駅)開通が最初でした。当時函館駅は海岸町だったという。明治36年6月には・本郷駅と森駅間が開通。明治36年11月には森駅と熱郛(ねっぷ)駅間が開通。そして37年10月15日・函館駅と小樽駅間全線開通となりました
「渡島大野駅」
駅は最初、大野村の本郷に造られる予定であったので 「本郷駅」。それが現駅の市渡に変更されたが、直ちに変更はされなかった。改められたのは、昭和17年4月1日。明治35年12月10日の開通の日は、汽車を見物しようとする、大人や子供で溢れたという。当時の「函館公論」は、天候は「雨」、記念相撲や紅鐙等の中止を伝えている。
昭和56年5月28日まで貨物を取り扱っていた。線路脇にある農協の大きな倉庫が、当時を物語っている。大野牧場で飼う渇毛牛(赤牛)が九州・熊本県で調達され、それを大野の役場産業課や農協職員が貨車で運んできた。駅前には、今のペリカン便・○通(まるつう)があり盛況だった。
昭和59年2月1日には荷物の取り扱いが廃止された。最盛期には、檜山管内の町から本州への出稼ぎ者が渡島大野駅を利用したという。乗車と荷物がいっしょの 「チッキ」、一日・100個ということも。駅舎の荷受台にはトタンが貼られ、それが荷物を滑らすために 「ピカピカ」 だったことをハッキリ覚えています。
昭和60年10月14日に直営売店廃止。昭和61年11月1日・駅員が無配置となった。最盛期には駅員が30人を超えたという。今は更地になっているが、当時立派な鉄道官舎がたくさんあり、同級生も数人いた。利用客も一日1000人を超え盛況の時代も。駅員のキップを挟む 「カチカチ」 という音は、今でも脳裏に焼きついています。
現在の駅舎は、昭和63年に改築されました。現在の利用客は、学生を中心に100人チョット。寂しい状況ですが、まもなく新駅に生まれ変わり、昔の賑やかさを取り戻してくれるでしょう。
参照資料=道南鉄道100年史・大野町史
|