北海道新幹線の着工が決まりました。新函館駅(仮称)は、現在の渡島大野駅から少し函館寄りに造られることになっています。駅前に予定されている地域には、ハム・ソーセージを生産するカール・レイモンの工場がありました。私の父からは、「車を止め気さくに話しかけてくる人」、ということをよく聞かされました。カールレイモンさんについて振り返ってみましょう。
毎年8月17日は、市渡馬頭観音の祭典です。祭典の読教を社で行う前に、円通寺住職は長い階段の入り口前に在る石標の前で説教を。これはカール・レイモンさん作った獣魂碑なんです。
ハム・ソーセージを生産し、北海道だけで千万人を養う。あるいは家畜を養う中央訓練所を造り、農民が自立できる訓練をする。その農民が散らばり家畜を養う。こうすれば農民は豊かになる。こういう開発構想を念頭に置き、ハム・ソーセージ作りにはげんだという。
「カール・レイモンさんについて」
1894年(明治27年)西ドイツのカルルスバードに生まれた。お父さんも食肉加工の技師で、レイモンさんは5代目。14歳から修行を始め、勤務先のノルウェーからアメリカに出張しその帰り、観光目的で函館に立ち寄ったことが運命を変えたという。
日本の食肉会社に請われて指導しているうちに、現在の末広町に在った勝田旅館の娘さんと結婚した。一時西ドイツに帰国したが、再来日して現在のブランド商品を作りあげたという。
「奥さんのことを思い・函館へ戻る」
函館に戻り、駅の向かいの弁当屋の一部を借り店を持ったという。しかし食生活の違いで、日本人はハムソーセージに見向きもしなかったという。そこで、東京方面に行き帝国ホテルなどにセールスし好評を得た。ある時ドイツの軍艦が寄港し、とても儲かったという。この金で五稜郭に工場を造った。
「日本一大きな大野工場」
五稜郭に進出後仕事は順調で、昭和8年には渡島大野駅前に工場を建てた。牛35頭、ブタ310頭、羊30頭を飼った。食肉処理場ら肉を遠くへ運ぶと鮮度が落ちるので、畜舎・サイロ・食肉処理場・工場を一ヶ所にまとめたという。更にドイツから技師二人を呼び運営、当時としては日本一の工場だったという。
また工場では、ライオン2頭・サル7匹・熊2頭・ワシ1羽・犬14匹・猫7匹などの動物を飼っていた。ライオンの「ウォー」「ウォー」というほえる声で、熊も人里に近寄ることが出来なかったというエピソードも。大野町で生まれた娘 フランチェスカさんは、ドイツ人の医師と結婚したという。
「地域と一体となってハム作り」
大野工場では、牛やブタの世話を地元農家主婦のアルバイトで賄った。また、フンなどは畑の肥料として近くの農家に提供し、代わりに寝ワラを分けてもらったという。特に牛やブタの骨を砕いてつくった肥料は、農家から好評を得た。
又、工場敷地内に動物園をつくり、特に寒さに弱いライオンのためにオンドル(床下に暖房)まで造った。この動物園、地元ばかりではなく函館市内の小中学生の遠足にも解放され賑わったという。
「レイモン(礼門)という日本名を拝命」
昭和10年に満州に行き、畜産振興に意を注いだ。満州では畜産試験場を10ケ所造ったという。満州鉄道の総裁・松岡洋右さんは仕事ぶりをほめてくれ、「礼門」という日本名をくれたという。
「大野の工場買収される」
昭和13年に道庁の長官に呼ばれ、「日本人の手で加工をする。西洋人の助けは要らない」。と言われ、北海道で仕事をしてはいけないことになった。工場は5万円で買収され、その金で元町に家を買い住むことになった。
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