ボケから「痴ほう症」、この言葉、大野町の平成17年度町政執行方針から姿を消し 「認知症」 となりました。ガンの病気は治る時代になりましたが、今やっかいなのはアルツハイマーなど認知症です。
認知症は風邪をひくときのように、知らないうちに「もの忘れ」をしたり「場所や時間」がわからなくなったり「人を疑ったり」「興奮したり」「暴言をはいたり」 ・・・・・・・。
私の自家用車のCDから流れる金田たつえの曲 「お母さん」 「どなたですかと 他人のように 私を見上げて 聞く母の 笑顔は昔と 変わらぬものの いいのよ いいのよ お母さん やせた手をとり うなづきながら あふれる涙が 止まらない」。この歌詞は、「よく現実をとらえているなあ」と考えさせられます。
全国で、認知症になった人や家族の暮らしが不幸であってはならない、この課題に取り組んでいる方が沢山います。大牟田市の痴呆研究会も手本になる活動をしています。その会の作った「いつだって心は生きている」の中から、ひとつの物語を紹介しますので、家族で食卓の話題にしてみましょう。何かが見えてくるかも。
「あなたへ」
お〜い誰か〜
暗い闇の中、私はどこにいるのだろう
ここはどこ?いま何時なの
そこで怖い目をして見ているのは誰なの?
どうしてそんな大きな声で叱るの?
そんなに強く手をひかないで、わたしの行く道をふさがないで、
こんなところに閉じ込めないで。
怖いよ、助けて。
どこへ行けばいいの?
何をすればいいの?
私にはわからない。ここがどこで、あなたが誰なのかも・・・・。
ああ手が温かくなってきた。
誰かが私の手を握り、微笑んでいる
私にゆっくりと優しく語りかけてくる。
肩の力がとれ暖かい日差しに包まれたように
柔らかな気持ちになる。
まるで心が生き返るかのように。
あなたがそばにいると私は楽になり安心できる。
わたしの行く道にただ寄り添っているあなた。
あなたの名前も、この場所も何もかも解らなくなったれど、
私を大事に思ってくれていることだけはわかります。
私には何も残っていないように見えるかもしれないけれど、怒りや悲しみもあり、
何よりもあなたと喜びを感じ合いたいと思っているのです。
「いつだって心は、生きている」のだから
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