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◎痴呆は人生の終わりではない「検査という裁判」



  「痴呆を生きる私たちが見た痴呆診断」  クリスティーン・ブライデン さん

  「検査という裁き」

  私たちは精神状態を調べるごく簡単な検査をさせられて、日付やつづり、数字を間違えてしまい、恥をかくことがあります。逆に大変難しい神経心理テストのようなものを受けさせられて、疲れ切ってしまうことがあります。自分でも何かがおかしいと気づいているのですが、どれだけ混乱して頭の回転が遅くなっているか、他の誰にも気づかれないように、いつも願っているのです。

  検査で疲れきってへとへとになって帰宅した私は、後で思い返してみて、とても難しく感じたテストと、簡単に感じたテストがあったのはなぜだろう、どうしてそのような差が出たのだろう、と不思議に思いました。数字を順に並べていくもの、絵を使ってストーリーを作るもの、目の前に並べられたブロックの組み合わせを当てるもの、迷路から出て行くように指示されるものは、どれもとても難しく感じました。

いろいろな買い物のリストを覚えたり、ストーリーを暗記しようとしたりすると、頭の中が真っ白になってしまい、回復するためには午後にはたっぷり昼寝をしなくてはならず、その後、数日間は扁桃痛に悩まされました。


  各種の脳スキャンはとても怖い体験でした。腕に針をさされたり、スチールの板に縛りつけられて魚雷管のようなチューブの中に押し込められたりしましたが、中には道路工事のような音を立てる機械もありました。

一人きりで中に閉じ込められて、何時間経ったのだろうかと思われるほどの間、話すことも動くこともできずにじっとしていました。ようやく検査が終わって自分の服を着るために待合室に戻ろうとした私は、戻る道順がわからなくなってとても混乱したことを覚えています。


  結果を待つ間、大変不安で恐ろしく、自分を恥じる気持ちでいっぱいでした。もし自分が痴呆症になったらどうしよう。あの老人ホームで自分が誰かもわからなくなってうろついているような人になってしまうのは、私には耐えられない。どうか治る病気でありますように、と必死で願ったりもしました。

  次回は 「痴呆症のシナリオ」 痴呆症です・治りません


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