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◎立ち上がろうではないか「年寄りの役割」 



  65歳以上のお年寄りが働く団体 「高齢者事業団」 の活躍はめざましい。大野町の行政が発注する協働委託事業は、契約額で3千万円を大きく超える。仕事の内容も、施設管理から土木作業・筆耕など幅広い分野にわたっています。

  この事業団に入団して働きたいという人は、年々増加している。お金というよりは、体を動かし元気を保ちたいという願望者が多いように見える。このことは、60歳定年は早すぎるという警告なのかも。

  志ネットワーク代表 上甲晃さんは、老齢化人口増加の時代を迎えたら、お年寄りは「何をすべきかを考えよう」と訴えています。私たちもいっしょに考えてみましょう。


  「年寄りの役割」   志ネットワーク代表 上甲晃さん

  「これからの年寄りは、世の中を悪くする危険性がある」というのが、最近の私の口癖。もちろん、それは他人事ではなく、私自身の世代責任を思う正直な気持ちである。

  間もなく、戦後生まれが高齢者の仲間入りすることに対して、私は、警告を発し続けている。「今ときの若者は」ではなく、「今時の年寄りは」と、年寄りが、他の世代から眉をひそめて見られるような存在にならないか、心配である。

なぜならば、高齢化は、時代の必然だから。人口の三分の一を、65歳以上の高齢者が占める時代は、目と鼻の先である。その高齢者が社会を良くする存在になりうるのか、それとも社会を悪くする存在になるのか、日本にとっては、まことに深刻かつ重要な問題なのである。


  私がこれからの年寄りのことを心配するのは、受けてきた教育に問題があるからだ。アメリカの意図のもとに精神的に骨抜きにされ、経済的成功だけを考えてがむしゃらに駆け抜けてきた人達が、これからの高齢者なのである。戦争で家族をを失い、国のために命を投げ出し、貧しさに耐え抜いてきた今までのお年寄りと、これからの年寄りとは根本的に違う。

  私がこれからの年寄りのことを心配するのは、「老後は悠々自適の暮らしをしながら、趣味に生きる」と考えている人が多いことである。

  自分が楽しむことだけを考えて、遊びほうけている年寄りを、どうして他の世代は尊敬するだろうか。「どうしてこんな人達を支えるために年金を払わなければならないのか」と、と反発されるのが落ちである。私は、これからの年寄りには、「悠々自適は許されない。

今までは自分と自分の家族のことだけを考えてきたが、ここから先は、世のため人のために生涯働くべきだ」と求めたい。それも引き続きサラリーマンとして勤務しろなどとは言わない。自らの足元で、奉仕の精神を持ってやれることをもっとしっかり取り組むべきだと言いたいのである。


  自分の健康管理のために公園の中を歩くのもいい。しかし、それは所詮、自分のため。公園を歩きながら、ごみの一つも拾って回る。それが年寄りの散歩のありかただ。

  最近、小学生の登校・下校も危なくて仕方ない。なかには、子供に携帯電話や居場所を示す発信機を持たせたりする親がいる。「それなら、子供達の登校・下校時の安全を守りましょう」と立ち上がる老人会があってもいいのではないか。

子供はおじいちゃん、おばあちゃんに、挨拶することを覚えるだろう。父母たちも、「毎日ありがとうございます」と御礼を言うはずだ。尊敬される年寄りを目指して、立ち上がろうではないか。


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