「起爆剤の補助金のはずが」
時代の変化を感じる。竹下総理大臣の時は、全国市町村に一律1億円がプレゼントされた。大野町では温泉掘削と中学生のオーストラリア研修に充てた。年間1千万円に近い予算を要する中学生の研修は、成果を上げた。しかし、三位一体改革による地方交付税削減の影響で、約10年の歴史に終止符。
大分以前のことだが、青年育成のために百万円を限度に100%の補助金を3年間プレゼントという国の制度があった。それを満額活用した町村は相当数ある。わが町もこの制度を利用した。この手の補助金は、国が補助金を打ち切ったとしても、止めることはなかなかできないのが現実です。このように、予算を引きずっているケースは結構あります。
一度つけた継続性の予算を削ることは、今までは困難な部分があった。しかし、政策評価をして判断し、そして住民が納得する予算作成をしなければならない時代に変わりました。従来の、住民へのサービス主体から、住民の負担をいかに少なくするか、を加味することが求められる時代に変化したことを感じます。
「地域と協働で町づくり」
平成17年度の予算で、少ない予算で最大の効果をあげる制度を試行することにしました。千代田地区の小公園改修事業。この地区は、町の財政不足に協力する企画を持ち込みました。公園整備の労力は、町内会の有志が引き受ける。逆に資材の調達費は、町の助成金でというもの。地域協働事業補助金百万円を計上し、整備に着手している。
花いっぱい運動。町が花を栽培し提供する。それを町内会やボランティア団体が、道端に植栽し管理する運動。これも協力団体が年々増えてきました。花を植え管理することは簡単なことに思えますが、雑草との格闘や水管理など根気がいる作業です。環境整備に協力者が年々増えていることは、心強い限りです。
児童と地域住民が一体となった体験事業に、町単独の補助制度があります。地域のお年寄りから米づくりを習う、地域の父母や住民と花火を楽しむ、地域の先輩から伝統芸能を教わる、など学校と地域の架け橋となる協働事業ですが、学校も知恵を出し定着しつつあります。
大野農業高校生が行う地域活性化事業。町から百万円の応援費がある。サンタクロースに扮しての独居老人訪問、交差点の花壇整備、駅舎の清掃、きじひき高原道路の清掃など、生徒が地域と一体となっての活動は、町民から評価が高い。
中央開発地区に石垣積みの水路が、4年の月日をかけ完成した。事業主体は渡島支庁。この完成を記念し、渡島支庁職員・中央開発町内会が植樹を行った。数年後、1キロに亘りツツジやマルメロが、花や実で楽しませてくれることになります。
古くから開発地区に伝わる「開発やっこ」。今年の意冨比(おおひ)神社の祭りで、復活披露される話が進んでいます。少子高齢化が進み、伝承の大事さはわかっているのだが、実行は難儀なこととなっているのが現実です。こういう中、歴史を伝える文化を守ろうという姿勢に、感激を覚える。
地域の活性化に対する町民の認識は、以前とは考え方や受け止め方が変化しています。整備費が税金・その管理費も税金。結局は、全額町民の負担の構図。国・道・町、どこも税収不足に、町民も本気で手助けしてくれる時代になりました。
地域を活性化するための「協働で町づくり」は、今後は内容の濃さを増す知恵が沢山出てくることでしょう。エッセイストの玉村豊男さんの「村に宝あり」を紹介します。さまざまな分野に転がっている宝、私たちも見つけましょう。
「 村に宝あり 」 エッセイスト・画家 玉村 豊男 町村週報 平成17年4月11日号
地域の活性化。この言葉をいったい何度私たちは口にしたことだろう。町は商店街の空洞化に悩み、村は高齢化と荒廃農地の増加に悩んで、ともにこれといった有効な解決策が見つからない。だから人びとは活性化、活性化とお題目を唱えるのだが、口で唱えても事態はなにひとつ変わらない。
たまに成功した事例があると、全国から視察や研修の団体が集まるが、見学で何かを得てそれが自分たちの土地の活性化に繋がったという例はあまり聞かない。人材がいない、危機感がない、予算がない・・・・・言い訳の理由はいくらでも探し出せる。
地域の活性化に、どこにでも通じる一般的な解答はない。それぞれが、まず自分たちが持っているもの、いまその土地にあるものをあらためて洗い出し、認識し、昔やっていて今やらなくなったことを復活させ、暮らしの足元を見つめ直すことからはじめるしかないだろう。
古いものをただ否定するのではなく、古い土壌に新しい花を咲かせるのである。過去を否定した未来はあり得ない。どこの村にも宝はあるはずで、だからそこで人びとは暮らしを紡いできたのである。それをもう一度見つけることができたなら・・・・・・。
探して、洗い出して、突き詰めて、考えた結果、もしも自分たちの地域になんの魅力も財産も、受け継ぐべき伝統もないことがわかったとしたら・・・・・自分たちもそこから逃げ出して廃村廃町を覚悟するくらいの、本当に真剣な議論がなければ、そう遠くない将来、実際に消えていく町や村が数え切れないほど出てくるのではないだろうか。
|