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◎ 都市と地方



  「都市と地方」を辞典で見ると、みやこ・大きな町が都市、国内の一部・いなかが地方。日本のみやこ東京に行くと、樹木の多いことに驚く。歴史を刻み管理が行き届いた木は、地方ではお目にかかれないような立派なものが多い。

ただ東京に行くと気になるのは、樹木の「みどり」色が濃く感じます。そして、暗いイメージに見えてしまいます。地方にいると毎日が、若々しい明るさ輝くみどり色の中。

  東京では足が疲れる。道路は、すみずみまで整備されている。土のない部分ばかりというのは、地方で生活しているものにとっては、辛い。飛行場での搭乗、地方行きは搭乗口が遠いですね。おまけに、エアドゥのような小さな航空会社はバスでの移動。搭乗者の立場に立たない空港のサービスに、いつも不公平を感じます。

  台風・地震。東京は災害に強く整備されていますね。地方は、大雨・大風での災害を受けやすい環境にある。東京の方が「安全」、という感じを受けます。

  航空運賃。函館から東京へは片道 約2万5千円。羽田で見かける函館・洞爺2泊3日の旅のチラシ、3万円程度にはビックリします。函館〜東京間・片道料金で・・・・・・・。グチもでます。

  「智恵子にも 見せたい空の 三が日」。東京の正月3日は、人間の動きが止まり、空もスモッグなし。地方の空は、いつも東京の三が日。地方は、都会にさわやかな空気を送り込んでいることがわかります。町村週報に、「地方」に行く、というコラムが載りました。いっしょに「地方」を考えてみましょう。


  「地方」に行く   九州大学院法学研究員教授  木佐 茂男 

  吉幾三氏の作詞作曲になるヒット曲に・俺ら東京さ行ぐだ・がある。「ハァ、テレビも無エ ラジオも無エ」で始まって「銭コア貯めて東京で牛(べこ)飼うだ」で一番は終わる。もう20年以上も前の歌だが、今もなお日本の現実を表現しているようである。

  東京に住む著名人たちが、「週末は、仕事で地方に行きます」。というのをよく耳にする。かつて地方分権改革論が始まりかけた頃、「東京も地方だ」と書いた。しかし、東京の人びとにとって、東京は、「one of地方s」でなく、「中央」であるようである。

  日本における「中央」と「地方」を比較すると、交通、文化、情報のいずれの分野をとってみても、全てが中央仕様であり、雲泥の差がある。特に、地方に提供される公共的サービスの低品質価格には、クレームをつけたくなる。

  地方に住む私の悩みは結構多い。私は、かなりの頻度で羽田空港を利用するお得意様なのだが、その搭乗待合室は出発ロビーから果てしなく遠い。待ち時間を利用してノートパソコンを取り出してみても、空港外れの待合室には、通信用電波も届かない。

地方から地方を往復するローカル飛行機は、チケットの割引対象外。当然、飲み物や新聞のサービスもなく、座席では縮こまっている。

  このまま、市場開放が進んでいけば、サービス供給は、ますます東京ユーザー優先へと偏向するだろう。真の民主主義は朽ち果てて、数の民主主義で物事が決まる。

  特に今年は、河や森、山間の住家に甚大な被害をもたらす大雨や台風の多い年であった。自力で復興する蓄えも腕力ももたない人々にとって、スズメの涙のような見舞金では這い上がれまい。俺らこんな村嫌だァ・と故郷を捨てる人々も増えるかもしれない。

  世界第二位の経済大国ニッポンといわれて既に30年。その間、地方から人が減り、土地が荒廃していった。回転するカネの規模が、生活の豊かさにつながらない日本。

  もしも、東京を一地方として認識するならば、水資源や電力開発、廃棄物処理をはじめとする忌避施設の「地方」への押し付けと、三種を独り占めしていることの不合理と不自然さが見えてくるはずである。


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