市街地から約2キロ西方にある総面積1・1haの八郎沼公園。春は「桜」「ミズバショウ」、初夏に「スイレン」が湖面に広がり、秋は「紅葉」が鮮やか。冬は歩くスキーが楽しめます。
1974年に町がこの敷地を取得した時、私は土地開発公社の担当者として公園敷地買収に関わったので、思いで深いものがある。当時、この沼のジュンサイは、七飯町西大沼の方が舟を使って摘み取り、お礼に大きなフナを放していた。
その後、地元に収穫する組合ができ、「八郎じゅん菜」の特産品として多くの人に愛用されてきました。特に「生じゅん菜」は高級品として、料亭などから重宝がられた。しかし、近年ジュンサイハムシが発生し収穫困難になっています。町でも、雇用対策事業を活用して沼の雑そう刈り取り除去などの対策を講じましたが、一向に解決されない状況です。
こういう中にあって、採取している組合が採取を諦め、そして組合解散をすることになりました。町の特産品として親しまれてきた製品を失うことは残念なことです。時を得て、北海道新聞にこの記事が載りましたのでご紹介します。
「消える八郎沼ジュンサイ」 北海道新聞社 渡辺淳一郎・記者
平成17年11月6日 北海道新聞・朝刊
町内の八郎沼で、ジュンサイの害虫「ジュンサイハムシ」が大量発生し、2002年から今年まで4年連続で、採取が見送られている。ジュンサイは町の特産品として定着していたが、「改善の見込みがない」として、「八郎じゅん菜組合」(花巻徹組合長、8人)は、今年12月末に解散することを決めた。
町郷土資料室による、八郎沼は人工の沼で、開拓史の役人から酪農家に転進した山田致人が1880年(明治13年)ごろ、土を掘って牛の水飲み場を造ったのが始まり。その後、元道議の中村長八郎(故人)が大正初期に、コイの養殖と水田かんがい用に再整備したことから、その名前にちなみ「八郎沼」と呼ばれるようになった。
町は1974年に、八郎沼とその周辺の土地系10haを取得し、翌年から公園として整備を開始。そのころから沼にジュンサイが自生したという。
ジュンサイを町の特産品に育てようと、商店主など町商工会青年部のメンバーが中心となり、八郎じゅん菜組合を発足したのは、87年4月。同年6月から本格的な採取が始まった。
例年6月中旬から8月中旬まで採取し、食用となる新芽は、ゆでてから瓶詰めにし、主に函館市内のデパートや料亭に出荷していた。八郎沼産のジュンサイは、大沼産のものと比べても、品質が良く、人気があったといい、ピーク時の91年には、年間約1トンを収穫、約1300万円の売り上げがあった。その後も年平均600キロを収穫、出荷していた。
ところが、2002年の収穫期前に、体長1センチほどのジュンサイハムシが大量発生し、ジュンサイの葉や新芽を食い荒らしているのが発覚、採取できなかった。ジュンサイハムシは、ショウシ目ハムシ科の害虫だ。同組合は、水面に浮かぶ葉の刈り取りを同年と03年に計2回行ったが、十分な効果はなく、02年以降の採取は見送られている。
同組合事務局の町商工会は「近くの川から流れ込む水量が少なく、水質が悪化していることも考えられる」とみるが、明確な発生原因などは分かっていない。
道南農業試験場によると、駆使するには薬剤の散布が考えられるが、ハムシの被害例が全国的に少なく、駆除用に登録されている薬剤はないという。沼に生息するフナやスイレンへの悪影響も予想され、同試験場は「史実上、駆除方法はない」と頭を悩ます。
沼を管理する町都市建設課も「9月下旬から付近の川からの取水量を増やし、沼に注ぎ込むことで水の循環を良くし、水質改善を図っているが、駆除のために何か特別な対策を立てる予定はない」と語る。花巻会長は「大野町の特産品がなくなるのは、非常に寂しい」と話している。
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