後援会活動、北斗市長選挙期間中・・・・・・・・時間が過ぎるのが早かった。日めくりカレンダーが大風でめくられていく、そんな速さのようでした。時間よ、もう少しスローにならないかと願いつつの日々でもあった。
選挙が終わり、静けさが戻った。時間は元に戻った。忙しいときは時間に追われる、というのは本当ですね。時について、村岡さんが自著の「鐘の音」に記している。あなたにとっての「時間」、どうでしょうか。
「時間デフレ」 村岡 武司 さん 函館市元町 ギャラリー村岡・主宰
最近、といってもいつ頃からとは言えないが、時間がたつのがとても早くなったのを感じる。一日単位でも一年単位でも、とにかくあっという間に過ぎてしまう。聞いてみると、同じ思いの人がたいへん多い。なかには「時間が絶対短くなっている」と、確信を披露する人もいる。
時間は時間で計るが、その文字盤が小さくなったわけでも、針の進むスピードが速まったわけでもない。要は、経済性や合理性を求め、無駄を省いた生活を追うばかりに、感動のない日常がチューブの中を通過するだけの毎日になってしまった、ということだ。
ローマの思想家ホラチウスが「今を楽しめよ」と喝破したが、この時間デフレを克服するには、過去と現在の間にある「今」を知ることが重要だということか。
「いま」
「今」を知ること・・・・。これがそう簡単なことではない。今そのものと思っていても、意外に過去や未来に影響されていて、なかなか純粋無垢な「今」に出会うことが出来ない。昨日を引きづったり、あしたに依存したりしていることに気づかされるのである。
朝の目覚めの一瞬などは、まさしく過去でも未来でもない「今」そのものだと思うのだが、しかし、それもほんのつかの間で、ぼんやりと時計に目をやったあたりから、次第に社会生活を営む上のさまざまな約束や、個人的な心配事などがむくむくと沸き上がり、今を忘れてしまう。
生きることの最大の問題は過剰な心配や期待をもったり、過ぎて帰らぬ昨日を悔やむことだと言うが、全くその通りだ。昨日やあしたに依存して今日を失ってしまう。明日のために今日頑張ろうなどと言うが、ほどほどにしておきなさいと言うことだ。
悔恨や妄想、あるいは期待や不安にとらわれない「今」という一瞬を実感するのは、なかなか難しい。
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