「笑顔であいさつ気持ちいい一日」 「ありがとう これが感謝の第一歩」 あいさつや感謝の言葉は、人間生活を気持ちよくさせる役割を果たしています。
「あいさつ」、勤め先や営業先ではできるんだが、家庭ではできない。こういう方が多いのではないでしょうか。わが家でも、両親は「家庭内あいさつ」を重視しませんでした。それは、家族というのは、何も言わなくても意思が通じるからということからです。私も両親の考えに賛成、そして実行しています。
しかし家族の中に、違う環境で生活してきたお嫁さんが入り込むとしたら、状況を一変させなければ、家庭内はうまくいかないのかも。「家族のあいさつ」について、肩のこらないように考えてみましょうか。
「家族にとって大切な挨拶」 宮島紀子さん 福島県・福島市在住の主婦
結婚して22年、夫の家族との同居だった私は、新婚旅行から帰ると義父の前に座り、「不束者ですがよろしくお願いします」と、頭を下げた。義父は「この家に嫁に来たからには、お前を娘だと思っている。今からお前を紀子と呼び捨てにするからな」と言った。私は、受け入れられたという安堵感と、覚悟しなければ、という思いが入り混じっていたのを思い出す。
初日の朝を迎えると、義母はすでに畑に出かけていた。義父は町市県の役職を任されており、その日の日程で起きる時間もまちまちだった。祖母は少しずつ狂い始めてきた体内時計のままの生活だった。
こんな人間の集まりの中、毎朝顔を合わせても誰も、おはよう、の挨拶をしないのである。新入りの私には少々気をつかって、おはよう、と言ってくれるのであるが、それ以外の家族は無視状態。無言で勝手に朝食を取る。特別怒っているのでもなく、夫に尋ねると、昔からそうだから気にならないという。
父がサラリーマン、母が元教師ということもあり、挨拶は当然、ご飯も一緒に、という私には、かなりの動揺だった。昔からそうだったという夫の言葉に私は納得できず、人としての基本ともいえる挨拶を、自分からどんどんしようと、私は決意してのである。返してもらわなくても「おはようございます」と。
そのうち子どもが一人、二人、三人と授かり、おしゃまな娘たちが、ぎくしゃくしていた家族の潤滑油となってくれた。お互いに言葉をかけあうようになり、揃って食事もとるようになった。ひ孫との散歩や絵本読みで、祖母の体内時計も正常に近くなってきた。皆の気持ちがほぐれて、やさしくなっていった。
今は、祖母も義父も亡くなり、義母を含めて6人家族になった。挨拶が苦手だった夫が、今では家族に声をかける。年頃の娘は夫にとってまぶしいらしく、さり気なく娘の車にガソリンを入れてくれたりして、点数を稼いでいる。
義母と私の中も舌好調である。社会生活も家庭も、挨拶と何げない声かけが基本であり、親子にとっても必要不可欠と実感している。
(雑誌 「潮」 読者手記から)
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