みかんの味、昔と比べ甘くなりましたね。昔は、「有田みかん」が高級品で美味しかった。今は栽培技術が進歩し、産地による当たり外れがない。この美味しいみかん、「皮をむいて食べるのが面倒くさい」ということで若者から敬遠されている、という話をよく耳にする。
「スイカの種を取り除くのが面倒くさい」 次々と連想 ・・・・・・。インスタント食品が溢れる時代、外食産業花盛りの時代を考えると、不安になります。上甲晃さんの「面倒だから」を読んで、時代背景の問題を考えてみましょう。
「面倒だから」 志ネットワーク代表 上甲 晃さん デイリーメッセージから
「最近、りんごの消費量が低迷している原因のひとつとして、皮をむくのが面倒だということがあります」。そんな説明をしてくれたのは、弘前市郊外にあるりんご園の案内の人。私は、世の中、とうとうここまできたかと、悲しくなった。
先日、日本人が以前ほど魚を食べなくなった理由のひとつとして、「骨があり、料理が面倒。その上、くさい」と聞いた。どこか共通する。りんごの皮をむくのが面倒だから、魚の骨が面倒だから、などと聞くと、亡国といった言葉が頭をかすめる。
「りんご園の売店では、皮むきの機械が売られていた。案内の人が実演してくれた。りんごに棒を差し込み、小さなハンドルを回すと、みごとにりんごの皮がむける。簡単な機械だ。この機械が良く売れている。
「ここでりんごを買う人たちは、ついでに、この皮むき機も買い求める」のだそうだ。さらに、皮をむいたりんごを一瞬にして、食べごろの大きさに切り分ける機械もあった。ひとつのりんごを一瞬にして、食べごろの大きさに切り分けられる。こちらの機械は外国製で、一万円以上する。
魚についても同じような機械があることを聞いたことがある。魚をセットして操作すると、骨が簡単に抜ける。スーパーでは、骨を取り除き、そのまま、すぐに食べられる状態にまで調理した切り身が良く売れるらしい。いずれも、面倒な作業をしなくてもよいようにすれば、売れるのである。
それにしても、日本人は、随分不精になったもんだ。りんごの皮をむくことさえいや、魚の骨を取ることさえいや。昔の人が聞いたら、「この罰当たり」と叱られることだろう。
楽して荒稼ぎする風潮が広がるのも、何となくうなずける。はたして、こんなわがままが、いつまで通用するのだろうか。私は、生活の場こそ、人格形成のもっとも大切な教室ではないかと考え始めている。人間が生きていく上で最低限必要な営みとも言える生活の場が、どんどん空洞化している。「便利」というただ一つの理由で、生活の場から、勤勉な働きが消えていきつつある。
「しっかり暮らす」ことは、基本的な課題である。「しっかり暮らす」ことが、子供達をきちんと育てる一番の基礎でもある。とのわけ、全身をこまめに動かし、丁寧に暮らす努力は、私達の生き方を地に足のついたものにしてくれる。せめてりんごぐらいは、自分で皮をむこう。そうすれば、包丁の使い方の勉強にもなる。
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