10年ほど前だが、札幌の大型書店で「買う」か「買わないか」迷った本がある。通常私が手にする本は、高額なもので二千円ほど。「一茶庵・友蕎子 片倉康雄 手打ちそばの技術」がタイトル。問題は定価の12,360円、小遣いの範囲を超え、わが家の大蔵大臣協議金額。
制作・取材・構成・執筆に当たった臼井孝行氏のあとがきには、「名人の技術は名人自身に語らせるのが最善の方法。裏返して言えば、名人と読者が直接向き合う本をつくる。このため、この本を完成させるために16年間費やした」。 この長い歳月の努力も、私の「買う」という心を高めさせた。
気に入った友蕎子の「まえがき」をかいつまんでみる。「そばは不思議な食べ物である。江戸の昔から明治、昭和と、時代は移り、食の傾向は違ってきても、そばは変わりなく日本人に好まれてきた。近年のような飽食が云々される時代になってもまた、そばは日本人をひきつけてはなさぬだけの新たな魅力を充分にそなえている」。 この言葉は、日本のこれからのいつの時代にも通用する。単純な食べ物だけど、その時代・時代に即した「新たな魅力」を持っているということも、そばの長い歴史が証明している。
「ひとたび食糧事情が悪化すれば、そばはたちまち救荒作物に変じる特性も、大昔から色濃くあわせもっているのである。そば75日という諺のたぐいからもわかるように、そばは蒔き付けてから75日程度で収穫される。日本中いずれの土地でも(そばはやせた土地でも育つ、という諺は、このような意味に解すべきであろう)、その年の秋のうちには収穫でき、しごく短時日で食糧となる」。 地球温暖化が進めば、食糧危機がやってこないとも限らない。そばは、日本人が大事しなければならない食物ですね。
「松尾芭蕉の゛鶴の料理過ぎて後段のときは必ずそばきりの場所なるべし゛。江戸時代の当時、鶴の料理は、天皇や将軍など限られた方しか召し上がれなかった。鶴という最高の料理のあとにそばが控えているとは、すなわち、そばが゛口なおし゛として、鶴の料理以上の料理であるという意味にほかない」。 この言葉も、現代の飽食美文化に、警鐘を鳴らす役割を果たしている。
技術面でもビックリするような指導も。一例を紹介する。「水回しとは、粉のひとつぶひとつぶに、まんべんなく水分を含ます作業である。水は何度かに分けてチビチビ加水するのではなく、全量を一度に加えてしまう。所要時間は加水後およそ1分間程度で済ませる」。
かくして「買おう」と決断、大蔵大臣と不協議で。本の重さは1.8キロ。私にとっては高価な本、今も大切にしている。
故 片倉康雄さん(平成7年9月10日・91歳没)については、ヤフーで名前を打ち込みご覧下さい。
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