「いつも道は無限にある」と信じられるか
たった一人の信者に向かって、教祖が教えを説いている。「どんな辛いことでも、どんな難しいことでも、どんな困難なことでも、すべては、わが身に起きたありがたいことと受け入れなさい。そして、「何とかこれを生かせないか」とお経を唱えるのです。そうすれば、完全に行き詰っていたはずの事態が、どんどんと開けて、やがて道は無限にあることに気がつくでしょう。ありがたい、ありがたい、あーありがたい」。
そもそも、私達の存在そのものがありがたいことなのである。例えば私にとって一番大切な命は、無料で提供された。見方によっては、これほどありがたいことはない。この身体、一枚皮の最高級品。すべての働きは、現代のいかなる高度な科学技術をもってしてもつくることのできない、超超超ハイテクの塊である。
このかけがいのない身体もまた、無料で提供されている。その身体を維持するために必要なもの、例えば空気、水、太陽、あらゆる食物、元々は無料で与えられている。
これだけ考えただけでも、「おかげさま」としか言いようがない。しかも、目に見えない力は、常に、私達を「生かそう」と働いているではないか。もし目に見えない力が私達を殺す方向に働いていたら、うっかり居眠りもできない。居眠りして意識を失っている間に、目に見えない力が働いて、心臓を止めてしまうだろう。安心してうたた寝ができることさえ、目に見えない力が「生かそう」と働くことを信じていることの結果だ。
常に「生かそう」と働く力の「おかげ」をもって、私達は生かされている。だからこそ、私達の働きもまた、「おかげ」と「生かす」の心でなければならないというわけだ。
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