私の父は、少しばかりの山林を所有していた。その山の手入れに、いつも学生の私を連れてった。私の心の中には「教え魔」のイメージがあった。父は造材業をしていたので山に関することはプロ、覚えていることを専門用語を使っての教えは、押し付けに思えた。今思うに、この教えが私の人生の歩みに役立っている。教えられた一つに「間伐」がある。
間伐しなければ、木は早く成長しない。木も人間と同じで、生まれつき体の弱い木と強い木がある。弱い木は生育が悪く、いずれ病木や枯れ木となる。スギの木の皮に白い斑点がついたものをよく見かける。これは若くして年老いた証拠。こういう生育の期待できない木は、間伐しなければならない。
こういう教えからすれば、成長のよい木を残し成長の悪い木を切るのが間伐と思うが、父の考えはそうとも言えなかった。成長の悪い木は切る、その次に太い木を切るだった。若い元気の良い木はどんどん成長するから太い木を切っても大丈夫が口癖だった。
この論法は理解できなかった。しかし、後年になって私は太い木を切る意味がわかった。家計が経済的に辛いときは、お金になる良木を切り生活費にあてることだったんです。子どもの私には、家計の苦しいことを説明する必要がないと考えてのことでしょう。
日本が敗戦し開拓者が入植して山地を開墾した。木を切って焼き払い農地を作った。流した苦労の汗は、言葉で言い尽くせないと思う。その入植者に、薪炭備林地という共同管理の森を与えていた。不測の事態のための暖房燃料調達のためなのでしょう。このことも、間伐に対する父の考えと共通するものがあると感ずる。
父は間伐すると、切り株に屋号の刻印を打った。「盗伐」、今は木材が安く考えられないことだが、一昔前盗伐は結構あった。今時代、刻印を打つと言ったら笑われるかも知れないが、管理する大切さは分ってもらえると思う。
山林は代々受け継ぐもの、という慣習がある。父から子に受け継がれたケースで、子は迷惑という話を聞くことがある。こういう場合、間伐などの管理を怠ることによる価値のない山林になる。無関心でほったらかし、このことが心配です。「間伐」は、価値のある・販売できる木を伐採して資金を得る。こういう考えで森づくりをすることも一考すべきであると思います。
、 |