TOP   田舎都会通信  蕎麦酔夢「吉田村」  写真で語る   ブログ   リンク集

◎貸したものが悪いのか・それとも借りたものが



  消費者金融の取立ての行き過ぎが新聞を賑わした。貸した側の取立てに問題があった。しかし裏返せば、借りた側の返済責任にも疑問を持った人もいたのではないだろうか。

  友人などに金を貸し、返済してもらえず困っているケース、よく耳にする。いつも言われることは、貸した側にも責任がある、という言葉です。善意のつもりが恨まれることにも。

  人間社会から、消え去ることのできない永遠の課題なのかも知れない。しかし、少しでもそういうことで悩むことのないよう、お互いに防衛することも必要です。上甲晃さんの「成果主義」を読み、いっしょに防衛力を高めましょう。


  「成果主義」  志ネットワーク代表 上甲 晃さん  (デイリーメツセージから)

  消費者金融の大手であるA社が、貸し付けたお金を取り立てるのに、強引な方法を取ったことで、厳しい批判の矢面に立たされている。社長が出てきて、反省とお詫びの会見をしている。私は、その会見の様子をテレビで見ながら、一つの言葉に引っかかった。

  社長は、「成果主義が行過ぎたことによって起きたことです」と陳謝している。私は、「成果主義」の一言にこだわった。この社長はまだ関心のところが分っていないのではないかとさえ思った。私は、「成果主義」が悪いとは決して思わない。むしろ、「成果主義」もまた大切なことではないかと思っている。

  悪いのは、「自己利益にとらわれた成果主義」である。「お客の利益を追求するための成果主義」は、むしろ大いに奨励すべきではないか。かりに「お客様のためにと思って活動した成果を問うこと」が行き過ぎたとしても、お客様は何の迷惑もこうむらない。

  A社の社長は、「自らの利益にとらわれて、必要以上に自らの儲けに執着したことが悪かった」と反省すべきである。多くの営業マン達は、自己利益追求の成果主義のもとにある。売り上げのノルマを課せられて、ノルマを達成すればするほど自らの収入がよくなる仕組みで、馬車馬のように、追い立てられ、働かされている。

私もかつて営業の経験があるが、やっと目標を達成したと思ったら、また次の目標が待っている。仕事をしている限り続くノルマとの戦いに、疲労感を覚えたものである。

  本当は、お客様の喜びを追及すべきであり、その成果が問われなければならない。それにしても、考えさせられるのは、借りた側の事情だ。約束通りにすんなり返済しておれば、無理な取立てにあうことはないはずだ。

決められたとおりに返済していて、なお執拗な取立てをするとすれば、これはやくざだ。借りた金を返すのは、どんな場合も、容易ではない。返済の目当ても立たないまま、目先の甘い言葉に乗せられて借金するから、後々に無理な取立てにあってしまう。

  とにかく、どんな困った時でも、甘い誘いに乗らないことだ。「貸す時は甘く、返す時は厳しい」のは、古来、金貸しの常識である。金貸し業は、取立てに経営の秘訣があると聞いたことがある。取立て率の高いところほど、経営は軌道に乗る。優しい言葉だけではなかなか金は返してもらえない。

私も友人に百万円貸して、未だに返してもらっていない。「いつでもいいよ」などと言っていたら、いつまでたっても返さない。時に、開き直られたりすると、きつい言葉の一つも、言いたくなる。


目次へ

TOP   田舎都会通信  蕎麦酔夢「吉田村」  写真で語る   ブログ   リンク集