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◎ 一流の人間は・弁解をしない



  昔は、「一流の官庁」「一流の企業」に入って、一流の人間・一流の生活をさせるため、子供の教育に熱心になった人もいた。中央競馬の一流ジョッキーと言えば、すぐ「武 豊」と答える人が多い。しかし大野では、ハイセイコウで競馬ブームをつくり、「さらばハイセイコー」のヒット曲を出し、中央競馬通算2,016勝をあげた増沢末夫騎手が、「一流」の言葉と共に頭に浮かぶのではないだろうか。

  「一流」という言葉、よく聞き・よく使いますが、どんな「意味」となれば???。私の趣味の手打ち蕎麦でいえば、、そこそこの道具は持っている、しかし、腕は道具についていけないザマ。一流の蕎麦打ち師は、どんな道具を使っても、みんなが納得の蕎麦を打つ。そこに違いがある。

  「一流品」と言われるブランド品は、機能性・デザインなどが優れているため安心感を与えるという。他人がもてない満足感もその人に与えると思う。しかし、だからといって「一流の人間」とは認められるわけではない。

  一流の仕事は、「向上心」から始まるという。そして、失敗を乗り越えてこそ「一流」になるとも。また、人間関係をうまくできなければ、「一流」になれないとも言われる。人の評価を受けることは、難儀なことです。上甲晃さんの「一流の人間への道」を読み、研究してみましょうか。


  「一流の人間への道」  志ネットワーク代表  上甲 晃 さん (デイリーメッセージから)


  「一流の人間は、決して弁解しない」。
  たった一行の短い文章が、私の人生を変えたと言えば、いささか大げさだろうか。冒頭の文章は、ある雑誌の中に掲載されていた、作家・三浦綾子先生の文章の中見出しの一つである。

既に今は亡き三浦綾子先生と、私は親しくお付き合いさせていただいていた。だから、雑誌が届いた時、真っ先に三浦綾子先生の文章が載っているページを開いた。その時に私の目に飛び込んできたのが、たった一行の中見出しであったのだ。瞬間、私は絶句した。そして背筋に冷たいものが走ったような気がしたのである。

  当時、私は弁解したくてたまらない事情があった。54歳の秋、松下政経塾から松下電器本社への転勤命令が、私に下った。その時、私なりに、「若い人を育てる仕事を人生のテーマにしたい」という志に生きるために、松下電器を途中退職する決心をしていたのである。

  私の周りの仲間は、私が54歳そこそこで退職するのはおかしいと言うのである。また、みんなの間では、「何かがあったはずだ」と噂している。なぜならば、松下電器では、55歳になってから退職すると、60歳で定年退職するのと同じ条件を適用される。老後の生活の安定を考えれば、55歳になって辞めるのが当然であり、その半年前に急に会社を辞めるのには、何か特別な理由があるはずだと言う。

  何人もが、「どうしたの?何か特別な事情でもあったの?」と、興味半分で聞いてくる。「何もない。志に生きるのだ」と言っても、誰も信用してくれない。「そんなはずがない。これだけの恵まれた制度を目の前にしながら、突然会社を辞めるのには、きっと何か止むに止まれぬ事情があったはずだと、しつこく聞いてくる。

そこで私は、みんなに「何もなかった。志に生きるのだ」と文章を書いて、それを送ろうと考えていた。その矢先に出会った中見出しである。弁解と言い訳ばかり考えていた私のことを見透かすように、三浦綾子先生は、「一流の人間は決して弁解をしない」の一言を、まるで私に宛てて、送っていただいたのである。

  考えてみれば、古来、言い訳や弁解で値打ちを上げた人は一人もいない。それどころか、言い訳と弁解は、うまくやればやるほど、その人の値打ちを下げる。その時、私は、「もう何も言うまい。黙ってやめよう。将来、実績をもって分ってもらおう」と考えた。

  そして同時に、骨身にしみて分ったことがもう一つある。人間として一流になるには、何よりも、「一本筋の通った生き方」をすること。例えば、「一切弁解しない」という筋を、生涯通し続ければ、既に立派に「ひとかどの人物」になれるのではないか。私は、肉体に背骨があるように、精神にもまた一本の背骨が必要なことを、痛いほど教えられた気がしたのである。

  肉体の背骨が曲がっていたら、病気になると言われる。同じように、精神の背骨が曲がっていると、生き方がおかしくなる。精神の背骨を一本しっかりと持ち、それをまっすぐに貫き通すことこそ、「一流の生き方」であると学び取ったしだいである。

  精神の背骨とは、言葉を変えれば、自らの人生を貫き通す「生きる原理原則」である。願わくば、その「生きる原理原則」が、単に自分一身の利益を図るような偏狭なものに留まらず、「世のため、人のため」といっ高邁な次元であること、それが「一流の人間」になることができる道であると確信する。


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