役場職員・町長職時代は「宴会」が多かった。雰囲気のよい宴会は、かならず「中締め」の時、「中締めは解散にあらず」との言葉が進行役から発しられた。そして、延々とはずむ会話が飛び交うことが多かった。「中締め」は、事情があり、早目に切り上げなければならない人のためには都合のよい、お互いに喜び合える儀式です。
戦後生まれの団塊世代が「還暦」を迎え始めた。東京大学名誉教授の木村尚三郎さんは、この還暦を迎え定年となる区切りを「中締め」と位置づけている。30年以上に及ぶ会社づとめは、自分の思い通りにいかず、悔し涙の経験もあっただろう。それをそのままにしておくことは、健康によくないというもの。
私も戦後生まれの団塊世代の一人、「中締め」で区切りをつけ、新たな楽しみに向かうことが大切であると思う。楽しみとは「遊ぶ」ことだけではない。定年を迎えた友人は、「何もしないでゆっくり休みたいと」というものもいれば、「これを機会に新築し、新たな気持ちで余生を迎えたい」、逆に、「健康なうちは、金銭に関係なく働きたい。身体を動かすことを忘れてはならない」というように、同期の「中締め」後の考えは千差万別です。
私の小さい頃、50歳代の男性を「父っちゃ」と呼んでいた。その時代は、今に比べれば老いぼれるのが早かった。昔の50代は、今の80代に相当する思いがします。今時代、「中締め」後も十分楽しむ時間があります。
問題は、病気となる確率が高くなることです。例えばの話ですが、会社づとめでストレスを貯めれるだけ貯めてしまった人などが、過去の痛みの清算を出来ない時は、「中締め」後すぐに苦しみと闘わねばならない。こんな残念なことが起こらないとは言い切れない。
「中締め」後は、先々予見しがたい日々となります。「今日は 今日の風が吹く」に逆らわず、自分流の生き方をするのが「中締め」後を楽しく送れるのではないだろうか。
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