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◎きちんと暮すことが 生きる基本 その2



 きちんと暮すことが 生きる基本   志ネットワーク 上甲 晃・代表 

  *10年間の訪問で得たもの

  私は、貧しさを忘れた日本人に、貧しさを体験してほしいと思い、このツアーを計画した。物見遊山のように、貧しさを経験し、見て回るのではない。貧しさの中に身を置いて、「自分たちの普段の生活が、いかに異常な贅沢の中にあるかを自覚し、物質的な豊かさと引き換えに失った大事なものを見直す」こと、それが目的であった。

  貧しさの中にいると、「もったいない」の心が自然によみがえるように、「貧しいから」こそ、よみがえる心が色々とある。

  例えば、貧乏人は、助け合わないと生きていけないのである。とりわけ、ほとんどすべて人力に頼らなければならない貧しい社会では、子どもの手まで必要とする。子どもたちもまた、大事な労働力なのだ。一家総出で、助け合わなければ、現実に生活が成り立たないのである。また、貧乏人は、物が乏しいから、分ち合わないと生きていけないのである。わずかな物を、みんなで分け合うことにより、みんなに行き渡るのである。日本はどうだろうか。物が有り余っているから、余ることはあっても、分ち合うことなどまったく必要としない。

  *助け合い 分ち合わないと 生きていけない人達

  助け合い、分ち合わなければ生きていけない貧しい社会は、「分かち合い助け合う心」が自然のうちに備わってくるのだ。それに比べると、日本はどうか。分かち合い、助け合わなくても、お金さえあれば、生きていける。誰と助け合わなくても、お金があれば、何でも出来る。老後の介護でさえも、お金があれば、誰の世話にならなくても済む。物は有り余っているから、分かち合うどころか、捨て場に困る。

  そう考えてくると、どうやら人間は、物質的豊かさを手に入れれば入れるほど、心の豊かさから遠ざかる運命にあるようだ。バングラデシュに行った人たちは、何に感動するのかというと、人々の温かい心、もてなしの心に感動するのだ。

「どうしてこの人たちはこんなに親切なのだろう」と誰もが首を傾けるほど、みんな、親切だ。心が豊かでなければ、貧しい社会では生きていけないのであろう。物質的に豊かになってしまった日本にとっては、まことに悩ましい問題である。

  志ネットワーク 63  2006年7月1日発行(季刊)から


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