きちんと暮すことが 生きる基本
*日本の処方箋について提案
それでは日本はどうすればいいのか。その処方箋は?。
もう一度、貧しかったあの時代に舞い戻るなどといった選択肢は、ありえない。第一、それでは人間は進歩しない。「物質的に豊かになって、なお精神的にもっと豊かになる道」を探らなければ、進歩がない。
第一に、私は、「しっかり生きる」ことを提案したい。最近、「生活」という文字に、私は大きな関心を持ち始めている。「生活」の二文字は、どちらも「生きる」、「活きる」、すなわち「いきる」ことを意味している。「生活」とは平凡で、飽き飽きする単調さを感じさせる言葉のように思っていたが、実は、「いきる」ことの基本ではないかと思い始めたのである。
「生活」は、「生かされて、活きる」といった意味ともとらえられるし、「生きて、活かす」といった意味にもとらえられる。どちらにしても、人間の本質に根ざした、深い意味を込めた言葉なのである。「生活」をおろそかにすることは、「いきる」ことをおろそかにすることではないだろうか。「生活」の手抜きは、「いきる」ことの手抜きではないだろうか。
*「生活」は生命の足場である
バングラデシュの人たちはね「生活」に必死である。「いきる」ことに精一杯なのである。生活のほとんどの時間は、「いきる」ことに追われている。子どもたちまで働いているのは、貧しいからと言うよりも、子どもの手まで借りないと、生きていけないのである。
なぜバングラデシュの人たちが幸せを実感できるのか、それは、「あの植民地時代、そして独立戦争直後の日々、食べることにも事欠き、枕を高くして寝ることさえも出来なかった日々は、何とありがたいことか」と思えるのである。まさに「足るを知る」の状態にあるのだ。
日本人は、「生きる」原点とも言うべき「生活」を、取り戻さなければならない。特に、食生活を初めとして、「家庭生活」の手抜きをしないこと。家族そろって、「生活」をしっかり営む努力は、家族の絆を結び、心の豊かさを取り戻す出発点になるように思われてならない。家族が、助け合い、支え合い、分かち合うことこそ、心の幸せの出発点である。
*家族そろって「生活」をきちんと励む
最近は、包丁が一本もない家庭もあると聞く。家で調理などほとんどしない家庭も少なくないそうだ。「生活」が崩れることは、「いきる」ことが崩れることである。忙しくて、調理などしている間がないというわけだろう。しかし、そんなに稼いで何をしようというのか。家族の絆こそ、幸せの原点であることを、改めて認識したいものである。
また、「生活」をしっかり励むことは、地に足の着いた人生を歩むことでもある。最近は、「生活」をおろそかにするから、地から足が離れてしまい、不安定な精神状況にある人が多くなってきている。「自分探し」などと言う言葉は、地から足が離れた心の様子を表す言葉だ。「生活」をしっかりと励めば、「いきる」ことにねが生え、自分が見えてくるはずだ。
志ネットワーク 63 2006年7月1日発行(季刊)から
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