高校の同級生が編集長を引き受け、タウン誌「街」を復刊させた。
43年間、街の風雪とともに歩み、そして歴史を刻んできた「街」を復刊させることは「勇気」のいることだったでしょう。
1年や2年の発刊は誰でも出来る。願うことは「継続」です。口では簡単だが、実行するには苦労が伴う。
「清水の舞台から飛び降りる」という編集長の公約を、確実に守れるスタッフの団結を期待したい。
編集室は、函館市元町のロープウェー駅の近く。
築60年の質素な編集室。このたたずまいいが読者をひきつける。
地域のおとしよりと交流を図る「地産野菜」の出店は好評だという。
高齢化社会を迎え、おとしよりの買い物の範囲が論議されている現状に、この試みは「一石」投じている。
こういう社会貢献を経営と併せて考えていくことを、社会は求めているのかも知れない。
「新たな歴史刻む復刊」 タウン誌 「街」 編集長 吉岡 直道
北海道新聞 2006年7月12日朝刊 「いさり火」から転載
6月8日、小さな雑誌が1年4カ月ぶりによみがえった。故木下順一さんが昨年2月まで43年間、510号を刊行し、市民に愛されたタウン誌「街」である。
「ここ函館・道南で、人々が、どのように愛し合いどのように死んでいくのか・・・。コンパクトな冊子という形にまとめることで、現在を確認し、次の世代へ渡すバトンとする」。これが木下さんの持論であった。
40年ほど前、東京に住んでいた私は「銀座百点」というしゃれた雑誌に出合った。表紙も文章も一流。しかし、ここ函館で「函館百点」に出合ったときはもっと驚いた。表紙がもっとすてきでしゃれていた。後にパリで没した蛯子善悦さんが描いたものだった。将来、僕も表紙に写真を掲載できたら、と夢みたものであった。
家業を継ぐため函館に戻り、しばらくして木下さんと出合った。著書で読んだ文章や人々のうわさから「偏屈」な人かと思っていたが、実際にはシャイ(内気)でおしゃれ。仲間が集まる飲み屋で、木下さんはジュース片手に語り合っていた。
「函館百点」からタイトル変更した「街」で、30回近く、表紙に写真を使っていただいた。座談会に加わり、下手なエッセーも何度か書かせてもらった。
病魔と闘った木下さんが昨年10月亡くなった後、遺志を継いだのは「ライカは行く」を「街」に121回連載した西野鷹志さんである。「街」の編集スタッフだった伊原祐子さん、河田節さんに声を掛け、さらに編集作業はまったくの素人である僕を誘い、4人で復刊に向けて忙しい日々が始まった。
月刊から季刊に衣替えし、西野さんを新しい発行人として、やっと復刊第1号の511号を出した。が、まだまだ表現したいことがなされていないと痛感している。
いくつかの新コーナーをスタートさせ、多くの激励の言葉もいただいた。半面、「ピリッと辛いスパイスがなくなった」とのおしかりも受けた。休刊前、木下さんが歯に衣着せず社会の右傾化を批判し、「非戦」の理念を骨太に語った「トーク・トーク」の存在感が大きかったのだ。
それに代わるべきものを、どんな形で作り上げるか。そして「文字離れ」が言われる若い読者を、いかに引き込むか。課題は無限にある。木下さんの思いを受け継ぎながら、函館と道南の人々の力を借りて、新しい「街」の歴史を刻みたいと願っている。
「街」 1冊 350円 定期購読 年間2000円 サポーター(3冊購読) 年間5000円
問い合わせ先 編集室 п@0138−23−8870
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