岐阜県大野郡白川村大字萩町に、合掌造りの集落がある。大昔の白川郷の風情を保ち、私たち訪問者を、江戸時代にタイムスリップさせてくれる。歳月を経て、風雪に耐えた勇姿は、貫禄が漂う。
「縁側の板戸が開くと1日が始まる」
長瀬家は、映画のシーンのような光景から1日が始まる。観光客が姿を現す前の早朝静寂の中、縁側の板戸は開けられる。高齢の家主が、外から板戸を1枚1枚ズラします。縁側内側の戸袋前には奥さんが待っていて、押されてきた板戸を1枚1枚格納庫に重ねていく。この光景は、田舎のふるさとの風情をかもし出す。
わが家も以前は縁側があった。板戸を開ける役目は私だった。戸袋にしっかり重ねて納めないと、最後の1枚が入らずやり直しをしなければならなかった。慌てるとこのやり直しが多く、この役目はいやだったことを覚えている。
「合掌造り」
長瀬家の合掌造りは、明治23年に完成したという。木造で5階建ては壮大。11メートルもある合掌柱が、大きな屋根を支えます。柱材は、樹齢300年を超える「桂」「欅」「栃」などの堅い木が使われ、大事な柱は樹齢300年という天然の桧が使われている。
3年がかりの大工事。建設費は、当時の金で800円。その他、米百俵と酒11石8斗。結いの手伝いを考えると、お金に換算すればまだ多額になるのでしょう。驚くのは、総床面積600坪です。農地で言えば、約2反ですよ。
「自給自足生活」
一階は、生活の場。二階は使用人の寝どころ。三・四・五階は養蚕などの作業場。当主の話によれば、現在6人で生活しているというが、盛りの頃は44人がここで生活していたという。その44人は自給自足生活。従って使った生活用具、道具と食器の種類と数には驚かされます。
「親子三代医者」
250年の歴史をもつ長瀬家は、初代から三代までは医者だったというから裕福だったのでしょう。500年前に作られたという立派な仏壇からも裕福が伺える。江戸時代の医療器具も展示されている。5階建ての合掌造りを建てるということは、相当の財力がなければ無理だということがわかります。
「維持」
平成13年、80年ぶりに屋根の葺き替えを行った。結いの村人や全国のボランティア500人が協力したという。合掌造りを守ることは、維持費用は勿論ですが、所有家族の精神的負担も相当なものでしょう。克服して守り続けることは容易ではないと思う。外野席の私としては、「ガンバレ」という声援しか送れない。
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