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◎鹿教湯温泉紀行・「老舗温泉宿もったいない」



  田舎の農作業はきつい、北海道の冬場は休業状態となるので、勢い働ける時節は無理をし勝ちになる。その疲れをいやすのが温泉。以前は、東北地方の薬効ある温泉に湯治に行く人が多かった。これが楽しみ、励みとなって仕事に精を出したのでしょう。

  ところが、最近は様変わりしていると思いませんか。農作業は機械化され、以前のような体を酷使する重労働が少なくなりました。それに、地方自治体が競って温泉を掘り当て、公共温泉があちこちに溢れかえるほどになりました。温泉で疲れをほぐすことが、毎日できるようになりました。このため、湯治に出かける話は、めったに聞かなくなりました。

  長野県松本市から車で30分、山あいの中にある「鹿教湯(かけゆ)温泉」を訪ねた。昔、猟師が放った矢が鹿の背中に命中、しかし逃げられたという。あちこち探し回っていると、矢の刺さった鹿が気持ちよさそうに水浴びしている光景に出会った。これが温泉だったのです。鹿が教えた温泉という由来がある由緒ある湯治場です。

  ホテルが2軒、旅館24軒、民宿1軒、公共の宿1軒、結構宿泊施設の数はある。私は、立派な中庭があり、部屋が14室あるという旅館に泊まった。安くて料理も良い、しかし閑散とした宿の姿には驚いた。私たち以外の宿泊は、バイク旅の青年1人だけ。自慢の露天風呂も貸切状態。

  失礼だとは思ったが、宿のおかみに聞いてみた。返ってきた答えは、「年中こういう状態です」、「湯治客も、公共温泉があちこちにできたため来なくなった」「常連だった老人クラブ、これも来なくなった」 ・・・ 。お客が少なくなると施設の改善に資金が回らなくなるのでしょう。これも客が遠のいた遠因なのかも知れない。

  街を散策すると、廃業した老舗の旅館が目立つ。原因は、客が遠のき業績が上がらず、その上普請もできず、という結果の答えなのでしょうか。関連して生活している商店や飲食店などの元気にも影響を与えているように写る。活気があるように見えたのは、皮肉にも、近代的立派な建物「かんぽ宿」の繁昌です。昔から湯治客との信頼を大切に生きてきた湯治場温泉に、公共の宿が必要なのか疑問を感じる。民営を圧迫する公共的施設の、威圧と不合理さを感じた。

  散策していてのどかな光景に出会った。温泉街のはずれの田んぼ道、お互いが手押し車に頼るお年寄りが、あいさつ言葉を交わしていた。野菜のこと、家庭の出来事や世間話に花を咲かせている。こういうのんびりした雰囲気が、お年寄りにとっては最高なのかも知れない。

  今回この温泉を訪ねた理由がある。それは、現世と神の世界を結ぶ橋として知られる「五台橋」を見るためです。この橋は、温泉を流れる内山川に架かっている。この橋は、屋根がついているという珍しいものです。側には共同浴場があり、橋の屋根の下には、雨の日も休憩できる椅子も用意されている。橋の前には、歩行訓練ができる湯坂がある。橋を渡ってからの散策路と景観も素晴らしく、つい「もったいない」という言葉が。

  湯治場的温泉場の老舗宿屋が、全国的に苦戦しているように思う。温泉場には、由緒ある歴史と生活が伝わっている。後世に、保存をしながら繁昌させ、文化を伝えていく妙案はないものだろうか。例えば、高齢化時代のニーズに応える長期滞在施設に転換など、余地はあると思う。廃業、施設放棄は、もったいない。このままでは、歴史在る施設が、いずれ各地から消え去るのでは。


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