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◎「かんじき」  森の話 16 



  信州を旅すると多いですね「山」が。それも北海道と違い、家のすぐ前に「山」がデーンと座っている。白川郷の合掌造りの集落に行くと学ぶことが多い。地域の交流が途絶える冬、山間(やまあい)の昔の暮らしぶりもその一つ。深い雪とうまく付き合わなければ、暮らしが成り立たないことも教えられる。その必需品のひとつ「かんじき」は、わが家の昔を思い起こさせる。

  私が学生だった昭和30年〜40年代頃は、今とは比べられないほど雪が多かった。わが家の前の道々、冬は馬そりも大事な運送手段だった。父は造材業だったので、冬山の広葉樹伐木は雪との闘いでもあったように見えた。その冬山作業に、「かんじき」は欠かせなかった。

  若い頃、山うさぎ撃ちにさそわれたことがある。鉄砲の許可を持っていない者は、うさぎの追い込み役が手伝い仕事です。「かんじき」で雪の中を歩くことは思った以上に疲れ、それにトラブルが加わるとやっかいなことになる。

私の履いたかんじきの真ん中あたりの紐の結び目が、髪の毛のようにパサパサになっていた。その日は快晴で重い湿った雪質。その雪が、歩けば歩くほど雪ダマがつき大きくなる。この繰り返しで疲れてしまった経験は忘れられない。

  父のかんじき作りは夜だった。薪ストーブの炉端で、籐を曲げ麻の編んだ紐を使って作った。小判のような形の完成品。全国では地方によって、丸形やたまご形などがあるようですが、合掌造りの白川村のかんじきは、北海道の形と良く似ています。

  冬の森を、かんじきを履いて観察する学習が各地で行われている。また、かんじきを履いた冬山散策も静かな人気を得ている。そして冬山造材の仕事をする人は、なくてはならない道具。この昔の道具の「かんじき」が、今も現役として重宝な必需品なのはうれしい。

  かんじきを履き、雪踏みして、歩道をつくる、こういうお年寄りを見かけることがあります。除雪や融雪機械の時代とはいえ、かんじきの効用は見捨てたものではありません。先人の知恵で作られた「かんじき」を、子孫代々伝えていきたいものだ。



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