北斗市は北海道水田発祥の地です。しかし、水田の休耕が約2000haの半分を超え、発祥の地としては残念至極です。秋は稲穂の頭が垂れ、豊作を迎えると農家はホッとする。1年に1回の収穫はギャンブルにも等しい。台風や日照などの気象に左右されることもあり、収穫まで神経の休まることがないのが実状です。
現在の米事情は、豊作になると「米余り」「価格低下」、さらに次年度の「作付け面積減少」と追い討ちをかる。毎年この時期になると、日本の食料自給率が頭に浮かぶ。食料自給率・2001年の統計では、日本は40%。主な先進国に目をやると、イギリス 61%、ドイツ 99%、フランス 121%、アメリカ 122%。日本の輸入に頼る食糧事情は、不安を抱く。
2003年の統計によれば、農産物の輸入トップはアメリカの36%、続いて中国の12%。水産物はトップが中国の18%、完全に中国依存型の食料確保になっている。世界の人口は増え続け、50年後には今の1.5倍になると予測されている。経済成長に伴う食生活の変化は、中国の食料輸出国を輸入国にさせるとも言われている。
北京訪問研修で聞かされた、「生の魚を食べるようになってきた」「ブタ肉に加え牛肉も食べるようになった」「生野菜を食べるようになってきた」 ・・・・ 中国食文化の変化は急速のように感じた。また、牛のエサとなるトーモロコシは現在輸出しているが、まもなく砂漠化などの影響もあり輸入国になるという。輸出国から輸入国に転じて成長させる創新経済政策は、脅威に写る。
日本の食料自給率のアップは、国も高める目標値を定め努力しているが数字はなかなか上昇しない。志ネットワーク代表の上甲晃さんは、「食料飢饉の不安」について記しています。私たちも生きていくために欠かせない食料について考えてみましょう。
「食料飢饉の不安」 志ネツトワーク代表 上甲 晃 デイリーメッセージ3524号から
米というものは、有り余っていると、ほとんどの日本人は思い込んでいる。日本の農業政策の柱の一つは、米をつくる田圃をどれだけ減らすかであり、米以外の作物への転作をいかにはかるかである。米がなくなると、誰も思っていないはずだ。しかし、近い将来、主食である米が足らない、米が手に入らない、そんな情況が訪れるような気がしてならない。
私の不安を裏付けるようなテレビ番組があった。米を主食とするアジアの国から、急速に田圃が消えつつあることを取り上げた内容である。たとえば、インドネシア。同国における長年の悲願は、主食の米の受給率を100%にすることであった。それは、国民を飢えから救うための、基本的な政策の目標であった。インドネシアが、米の自給率100%を達成したときには、国連の本会議でインドネシアが大統領が誇らしげに世界中に報告したほどの記念すべき出来事であった。
ところが、インドネシアは、最近、米の輸入国になった。それは、米よりも、海老類の養殖をしたほうが数倍利益が大きいために、稲作農家が海老の養殖業者に転換した結果である。「もっと儲かるから」というただ一つの理由で、田圃がどんどん消えているのだ。
中国では、米をつくることをやめて、野菜づくりに方向転換した農家を紹介していた。野菜は、すべて日本への輸出品だ。キヤベツ、はくさい、レタスなどが大量生産されて、どんどん運びだされている。農家は、誇らしげに、「野菜は、米の数倍儲かる」とほくそ笑んだ。
中国では、転作だけではない。農地を工業用地に転換することが、激しい勢いで進んでいる。経済の発展、工業化の推進、物質的豊かさは、主食を生産する田圃をつぶすことによって、実現しているのだ。最近の数年間で、田圃が10万ha消えた。そして、農家の収入は、3倍に増加した。しかし、中国でも、早晩、主食の米を輸入する日が間近に迫っているし、これから年を追うごとに、深刻な米不足に見舞われる危険性が指摘されている。
農家での、父親と息子のやりとり。息子、「儲かる野菜をつくって、米は安いものを買えばいい」。父親、「買う米がなくなったらどうする」、「米を買うかねがなくなったらどうする」。しかし、息子は、父親の言葉に耳を貸すことはなかった。象徴的な場面であった。
日本人の多くは、「米も野菜も、そして魚も金を出して、世界中から買えばいい」と思っている。しかし、買う米や野菜がなくなったら、いったいどうするのか、買う金がなくなったらどうするのか、そんなことを考えている人は少ない。以外に米不足パニックは近いのかもしれない。
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この文章は、上甲さんが平成13年4月13日に記したものです。北京で現在の食事事情を聞くと、この文章と同じ方向で進んでいる感じを受ける。マグロやカニなどの高級食材の競い合いは激しい。世界最大の食料輸入国の日本、子孫代々の食料供給が不安に思えてならない。
日本の田圃は休耕という形で保存されていることは、唯一の救いでもある。。耕作放棄農地になると、その回復に数年を要する。将来を見据えた食料自給率の向上を願わずにはいられない。
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