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◎函館朝市



  
わが家は函館朝市から、距離にして約15キロ、車で25分。戦後の物資不足や近郊農家の野菜販売などなど、函館近郊の人々に貢献してきた功績は計り知れないものがある。朝市の全国サミットがあり、全国では朝市として地域に貢献しようとガンバッテいる地域が沢山ある。しかし、函館朝市のような規模の大きさで、地域経済に寄与しているのは数少ない。

  わが家の近くの農家も、朝市の恩恵を受けてきた。兼業農家の多い地域の野菜は、種類も多く市場での販売に適している。農家の出荷する量は少ないが、前の晩に家の道端に置くと、集荷のトラックが朝市に運んでくれた。この運搬の仕事で生計を立てていた人もいた。

朝市には、市場に運ばれた農産物を購入したり、農家のお得意から届く品を販売するおばちゃんがいた。この仕事ができる許可をもらったおばちゃんを、通称「すずめ」と呼んでいた。旧大野にもこの販売員が大勢いて、今もまだ健在で頑張っている人もいます。

  わが家も朝市とは縁がある。母が作ったイチゴ・ニラ・グリーンアスパラ・長いも・ゴボウ・ミツバ・クリ ・・・ ずいぶん出荷した。その品の代金は、その日のうちに精算書とともに茶封筒に入れられ届けられた。手数料は10%。僅かな金額だが、生計の足しになった。また、値段に一喜一憂し、これが励みになる母の姿は忘れられない。朝市の長い経験のすずめは、朝一番で八百屋さんなどのお得意さんに品をさばくことができた。特に、知り合いや近所の品物は、値を高く販売してくれる配りょをしていた。

  函館朝市は、戦後の物不足の時代から函館の食を支えてきた。場所を転々と移動しながら昭和31年に、ようやく現在地に固定したという歴史がある。青函連絡船の乗降口が目の前の市場は、背中に背負って行商人が船から下りてくる写真を見ると、米などの禁商品を売っていたことがひと目でわかる。「闇」商品は法に触れるかも知れないが、当時の世相としては必要悪だったのでしょう。そして、「闇」商品がどれほど生活の足しになったのか計り知れない。

  朝市のイメージの一つは「早朝」。それも夜明け前を指し、朝3時半頃から市場は動き出す。もう一つのイメージは「裸電球」。さらに、土のついたままの販売品、これに威勢のいい掛け声が加わると申し分のない朝市となる。

  朝市に行くと感じる。年々観光化の傾向が強まっていることを。朝市の人気は、近郊生産物の鮮度や売り子が説明する生産者の顔などがもたらす安心・安全にある。馴染みの八百屋さんは売れ筋の品を把握し、○○さんの長いもでなきゃダメ、というような指定席農家もいる。もっともっと朝市の良さを広め、函館市民や近郊在住者で溢れる朝市になってほしい。そのためには、環境改善が必要なのかも。

私が感じる不便は駐車場。大型スーパーのように、お客様本位を考えた無料駐車場、わがままかも知れないが整備してほしい。それに、幼稚園、小学生、中学生など地元を将来背負う子供たちにも、朝市と生活の歴史をどんどん教えてあげたいものだ。こういうことが、朝市存続の維持に貢献すると思うのだが。


  函館朝市の野菜生産物ドームには人なつっこい函館弁の売り子の声が響き、ここが昔の朝市の風情を一番感じさせてくれる。人情あふれるおばちゃんの声は、買い物客の生活に活気を与えてくれる作用をする。

  全国の朝市を見学して感じることは、近代化すればするほどお客が逃げることです。施設もそうだが、服装の姿や形、利用する一輪車や根物・リンゴを入れる木箱など、昔流がいい。函館朝市は心配なことはないだろうが、できるだけ昔の姿を大事にして歴史を積み重ねる、このことを忘れないで発展してほしい、と朝市ファンとしての私は願っている。



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