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◎教育現場の先生・ガンバレ



  福岡県筑前町の生徒自殺が発端となった昨今のいじめ問題は、教育全体にさまざまな波紋を広げている。。「教育の基本」は家庭という主義の私には、マスコミの溢れる報道には危険を感じる。実際に過去の事例を見ると、二次的被害者も発生しており、人権問題にもつながる恐れもある。

  教育現場の改善は、教育行政だけでは難しくなったと感じる。人権問題を含め、現場を預かる先生の声や子供を預かる親の意見を取り入れた、改善と監視の機関が必要だ。同時に、教育現場の顧客(親等)に対する説明責任が求められていることも強く感じる。


  新人の先生を「教育」することについて思うことがある。役所でも会社でも、普通は新人教育を何年もかけて行う。先輩が手取り足取り教え込み、習得の度合いによって、責任ある地位に昇任するのが定番です。ところが、学校の先生は少し事情が違う。僅かな期間を経て担任になる。教室に入れば、「一国一城の主」の世界、と私には写る。経験とか年齢に関係ない横一線の権限は、顧客からすれば心配に思う。新人教師のうちに世間を知る、こういう教育にも力を入れてほしい。

  教育事務に携わった時、いじめにあった親から「担任変更」を求められた経験や「学校変更」を申し出たケースに遭遇した。いじめにあった学校内で改善させることが難しい、というケースがあるのも事実。こういう問題は、教育委員会が手を貸してあげれば解決できることもある。現場の悩みを早く報告できない、という風通しの悪さがあるとしたら、顧客は心配になる。こういう風潮が危惧されることは、教師にとって不本意だと思う。教師と教師が、切磋琢磨し合うことも大事なのではないか。

  仕事の世界は、叱られたり、叱ったりすることがなければ発展は望めない。先生同士が、注意やけん制できる環境が薄いように感じてならない。先日も、校長に叱られ入院している中年の先生の記事が新聞に載った。叱った校長も体調をくずし休職。これは氷山の一角だと思う。

  志ネツトワーク代表の上甲晃さんのデイリーメッセージに「刑事さんの話」というのが載っている。泥棒に入られた家に、事情聴取に行く。その家の人が、大島を盗まれたという。若い人は、大島がわからない。まさか島ごと盗まれるはずもないしと、首をかしげる。

署に帰り、先輩に「大島ってなんですか」と尋ねる。「大島とは、大島紬のことだ」と先輩が教える。「大島紬?」と、後輩はさらに首を捻る。「着物、着物のことだよ」と、先輩が説明する。

  ところが、そこで終わっていたのでは、刑事として一人前にはなれない。自らデパートにでも足を運んで、実際に見に行くようでないといつまでたっても、成長しないのである。デパートの店員に、「大島紬は、どれですか。値段はいくらぐらいするのですか」と聞くようでなければ、成長はない。

大事なことは、日々の仕事をしながら学ぶことなのである。勉強は勉強、仕事は仕事と分けて考えているうちは、まだまだ不十分なのである。

  女の人の一人住まいに聞き込みに行く時、絶対に一人で行かないことは基本中の基本だ。まず上司についていってもらえないか頼んでみる。あるいは、新人についてくるよう指示する。新人は、先輩から命じられたので、ただ黙ってついていく。黙ってついていきながら、女の人の一人暮らしの家を訪問するときは一人で行ってはいけないことを学ぶのである。

  仕事を通じて学ぶことを、昨今、いささかおろそかにしていないだろうかと反省させられた。特別な場に行き、特別な体験をしながら学ぶも一つの方法である。しかし、もっと大切なことは、日々の仕事の中で問題意識をもち、すべての体験から学ぶほうが大切なのである。

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  教師は社会のことは何でも知ってる、と子供を預かる親や校下の人は思っていのではないか。それだけ信頼されている職業です。しかし、教師も人間、若い時から研鑽する努力を怠ってはならない。それには、身近にいる先輩から感受することが必要だと思う。

  教師の質の向上をめざした教員の獲得戦争が、地方の教育委員会で始まりだした。東京都杉並区の「杉並師範館」、京都市の「京都教師塾」、横浜市の「よこはま教師塾」などがそうだ。こういう前向きな動きにすがりたい思いがする。


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