「子供達や孫達をだめにしていないか」
「お金がすべて」という自らの価値感を、子供達や孫たちに押し付ければ押し付けるほど、子供達は内面に屈折した感情を溜め込んでいく。「しっかり勉強して、良い会社に入れ。良い学校を出ないと、良い生活が出来ないぞ」と脅かすほどに、子供達は、心をねじれさせていく。
また、゛お金がすべて世代゛は、お金の魔力まで、子供や孫達に押し付けたくなるようだ。法外な贅沢が子供達や孫達の゛生きる力゛を奪い続けていることに、゛お金がすべて世代゛は気がつかないように見える。
私は、「お金がすべて」という価値観を大転換しないと、日本の社会は、精神から崩れていくような気がしてならない。「お金は大事だよ」と歌ってもらわなくても、お金の大切さは理解しているつもりである。問題は、「お金がすべて」ではないことだ。
「高齢者こそ、目覚めなければならない時だ」
そのためには、゛お金がすべて世代゛の自己革新が、何よりも求められる。すなわち、゛お金がすべて゛と思い込んでいる私達の世代が先頭に立ち、「人間が生きていく上では、お金とともに大切なことがある」ことに気づくとともに、そのことを後世に伝える努力をしなければならない。
そのためには、まず、自らの趣味に生きるような価値観を捨てて、「世のため、人のために」献身的に役立つ存在に生まれ変ることである。大げさなことでなくてもいい。自らが足場を置く地域社会において、率先して、地域のために役立つことだ。子供達が安全に通学できるように、道に立つことだって、立派なお役立ちである。その姿勢は、きっと、子供達や孫達に、人の役に立つために無償の奉仕を買って出るものとして、多くの人達から敬意を持って受け入れられることであろう。
「次世代から尊敬される生き方をしよう」
「うちのおじいさん、おばあさんは、老骨に鞭打ちながらも、人のために実に良く働く。見上げたものだ」と、他の世代から言われるほど、自分のためではなく、人のために生きるのである。その生き様ほど、後に続く世代にとって、心動かされるものはない。また、孫達は、高齢者の献身的な生き方の中に、゛人の尊い姿゛を見つけ出すことであろう。
高齢者にこそ、「志」が求められるのである。「もう私達の時代ではない」などと、うそぶいている場合ではない。「今までは、会社のため、家族のために懸命に働いてきた。しかしこれからは、地域やみんなのために、惜しみなく力を差し出そう」。日本の高齢者に、そうした心が芽生え始めたら、世の中の雰囲気が変り始めることだろう。
まして、高齢社会とは、世の中の大多数が、年配者中心の社会になっていくことでもある。社会の中心的な存在である人達が、゛自己変革゛を遂げ始めたら社会が変るのは当然だ。
私は、死ぬ最後まで、若い人達に生きる勇気と力を与え続けることを、人生のテーマとして追い求める覚悟を固めている。言葉を変えるならば、死ぬ最後の瞬間まで、若い人達の心の中に、゛志の苗木゛を植え続けることを期したい。
|