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◎タイの寺院と僧侶 その1



  「信仰心」

  国民の95%以上が仏教を信仰するタイ国。バンコク・アユタヤ・パタヤ、どの都市でも托鉢の僧侶を見かけました。托鉢は朝に回るようです。僧侶が来る時間を知っているようで、備え物を抱えた若夫婦が路上で待ってます。僧侶がくると、膝まづいて手を合わせお祈りしている。

  パタヤ市内では、家の前の路上に備え場所をつくり、お祈りしているお年寄りがいました。供え物も、魚、肉、お酒、花、お菓子 ・・・・ さまざまな種類です。物を備えたり、僧侶に物やお金を差し上げると、功徳となって返ってくると信じているという。
 

  「修行」

  仏陀の教えによる修行は厳しいという。食事は、托鉢でもらう食べ物で生活するのが基本。それも、午前中の2回しか許されないという。この食事制限が一番つらいらしい。飢餓状態に自分を置き、人間の欲求を断つ修行なのでしょう。

  戒律は227あり、歩き方、食事作法、女性に触れてはいけない、など生活全般に及ぶ厳しいもの。戒律を乱すと、座禅や掃除などの罰が待っている。

  私がパタヤで目にしたのは、ゴミが散乱する歩道を、一心乱れることもなく歩き去った僧侶です。その姿は、言葉で表せない ・・・ 印象を受けた。

  ガイドさんの説明。「僧侶の大学は9年制、お医者さんは6年で卒業ということは、いかに僧侶の修行が難しいかがわかるでしょう」。


  「托鉢」

  早朝、黄色の衣(チーオン)をまとった僧侶が、托鉢に回ります。人数にきまりがないのか、一人で回っているもの、数人で回るもの、さまざまです。

  パタヤ市内にある朝の市場には、托鉢の僧侶がいっぱい。野菜などの食べ物をドッサリもらえるという。中には、お得意さんのいる僧侶も見受ける。

もらえる論法は、僧侶や寺院に「お布施」や「物を供える」という善行をすると、功徳となって返ってくる。すなわち、幸せになると信じている心が、物心を与える行動になるのでしょう。


  僧侶は、物やお金をもらっても、お礼の意味での頭は下げないという。寄進した信者が恩恵を受けるからだという。わかりやすい説明ですね。

  つづく


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