「最小限」
最近、「最小限」という言葉使いが多くなってきたことを感じます。若い時は、物がたくさんあることが、文化的生活と思いつつ過ごしてきたように思う。しかし、高齢者の生活をみたり、自分の高齢生活を頭に描くと、最小限というのは、暮らしやすさに快適さを与えるような気もする。
ひろびろとした家で暮したい。ひろびろとした庭を造りたい。大きな庭木も植えたい。季節の日々に合う着物と洋服を用意したい、などなど全てにおいて大風呂敷の夢を描きつつ年を重ねてきたように思う。だが、高齢時代は「最小限」で暮らす心がけをしなければ、自らが自滅しそうな気もする。
「実践の土台」
私の高齢時代に備え、「最小限」を実行してみた。バンコクと北京の住宅の最小限生活を参考してのこと。大して驚くことではないが、今まで気付かなかった。
バンコクのサラリーマン・マンションには、台所がないのが普通だという。食事は外食で済ませるか、おかずを買ってきて家で食べるという。だから台所は不要。主食のご飯におかずを載せたり掛けたりして混ぜて食べる、というのが基本らしい。このため食器も沢山必要ではないようです。
中国の四合院住宅は、塀で囲われた敷地に4軒が暮らす生活です。大学教授を退職した老夫婦の家は、機能的に見えた。玄関を入ると、即「居間」。間取りは居間と小さな台所と4畳ほどの寝室だけ。居間もそう広いわけではないので、家具は椅子と食卓机と食器棚という簡素なものだった。
中国の北京郊外の高級マンションを見せていただいた。ここでも、玄関の戸を開けると「居間」。靴は簡単な置き場があるだけ。日本だったら、立派な家具調の靴箱が当たり前。その中には、いつ履くのかわからないまま眠り続ける靴もある。
「居間から茶ダンス追い出した」
新築してから25年間、居間の結構な広さの独占権を持っていた「茶ダンス」、これにヒマをとらせることにした。幅・45センチ、長さ・2メートル40センチ、高さ・2メートルの茶ダンスを片付けたら、部屋の広さが倍になった感じ。家具が、知らず知らずに圧迫感を与えていたのでしょう。
茶ダンスを整理したら、25年間一度も使わなかった食器などがワンサカ出て来た。更に、居間に来た客に目立つ所なので、飾るために無理に買い求めたものもワンサカ。中国の老夫婦は、古い机と椅子を大事に使っていた。見栄をはって飾る不必要さを、この年になって感じた。
日本の家庭の当たり前は、居間には「茶ダンス」、台所には「食器棚」。高齢者には、どちらか一方は不要のような感じを受ける。
「波及効果も大きい」
空いたスペースに、机と椅子を置いた。今までは別室で机に向かっていた。従って、冬は暖房器具が必要だったし灯油も購入していた。また、机の上にはテレビを置いて見ていたので、2台稼動していた。居間に異動させたお陰で、暖房代、テレビ1台不要、という節減効果の恩恵を受けた。
茶ダンスを取り除くと、大きな壁面が手に入る。我が家の四方は、南はベランダ、北は台所を仕切るペチカのレンガ、西は仏間の襖、北は茶ダンス、というように壁のない状態だった。そこで、手にした広い壁面には、絵画を掛けることにした。おおげさな言い方かも知れないが、小さな美術館の誕生です。
「茶ダンス」にヒマを与えた小さな行動が、こんなに波及効果が出る。高齢になったら、毎日付き合う家の中の簡素化に挑戦してみましょうよ。
|