「無趣味が趣味」
「早く雪が融ければいい」、高齢になった母の言葉、耳にタコができるほど聞いた。春になれば「土がいじれる」が理由。無趣味の中の無趣味が好き、というほど無趣味が趣味だった。生涯楽しみにしたのは、野菜づくりと草取り作業。趣味とは言えないものが「趣味」だった。
父と同じ、数え92歳までが一生。89歳まで庭や畑の草取りをした。高齢に差し掛かった頃は、「草取り」などの外仕事は疲れるから止めなさい」、と口うるさく注意した。本人は、「土いじりをすることが自分の体に一番」だと言い張り、息子の言うことは聞かなかった。
「楽しみも無趣味が一番」
旅行は「船やバスに酔う」という理由で控えていた。一度だけ連絡船に乗り青森に行ったが、船酔いで大変な目に遭ったようだった。船の中でもどした時、「入れ歯」も一緒に・・・・・。そのことに気付いたのが帰宅してからだった。わが家の笑い話として残っている。
一度は見てほしかった東京見物、とうとう行かず仕舞いだった。心の底から土と暮らすことが趣味だったのでしょう。
人はよく、仕事・作業は趣味に入らないという。しかし、母を見ていると働くことが趣味であり、それが自分の健康のために一番だと、自分で悟っていたのでしょう。このことに私が気付いたのは、晩年の頃になっていた。
「自然体の日暮」
こういう無趣味の生活をした母は92年間、一度も入院を経験していない。主治医の野本幸雄・先生指導のお陰をもって、自宅で老衰のため旅立つ生涯となった。
「趣味がないと病気になる」「仕事をすれば体が弱る」、というような高齢者に配慮した家族の言葉は、場合によっては不必要なのかも知れない。
高齢になったら、「自然体の日暮」をさせてやることが、一番の「良薬」なのかも知れない。
「無事是貴人(ぶじこれきじん)」
ほっとする禅語の本に、「無事是貴人」という言葉が説明されている。「あなたの中にはいろんな貴方がいるでしょう。わがままなあなた、ずるいあなた、すぐ怒るあなた。でも、純粋な人間性というものにも気付きませんか?ひとりになった時だけに会える、素直で素敵なあなた」。
「そう、人間は、もともと全てを自分の中に持っているのです。だから他に何かを求めていくのではなく、まずあなたの中の純粋なあなたにめぐり逢ってください」。これが「無事」、そしてそれを分かった人が「貴人」です、と解説している。
高齢時代、高齢者も若者も「無事」「貴人」という言葉を、生活の中に取り入れること、これを考えてみましょうか。
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