「一人暮らし」
一人暮らしのおばあちゃん宅を訪問すると、話しがはずみます。普段はテレビとの対話が多いのでしょう。訪問客を手厚くもてなしてくれます。一方通行の教えが多い。「亡くなった夫のこと」「娘さんお孫さんのこと」「病院へ行ったこと」「ヘルパーさんのお世話になってること」などなど、山のように教えたい話が積み重なっています。
一人暮らしの生活を、「独居生活」や「独居老人」という言葉で表現することがあります。特に行政で使うことが多いですね。この言葉が、一人暮らしの高齢者のイメージを暗くしている感じがします。。明るいイメージを感じる「独居」に変えていく必要があります。
「孤独 予備軍」
高齢者を訪ねると、よもやま話しを楽しそうに教えてくれる姿からは、暗いイメージの「孤独」を感じさせません。しかし、大雪が降っての雪かき、暴風雨による屋根の傷み、官庁からの書類対応、体調の異変などなど、場合によっては「孤独」に引き込まれそうな高齢者もいます。
高齢者の中には、悩みを外に出すことが不得手な方も見受けられます。こういう方は、一人で「孤独」に立ち向かいます。高齢者は孤独に耐える力を持っているとはいえ、心配な方もいます。
「友や相談相手がいれば無孤独」
「孤独」の意味を辞書で引くと、「仲間や身寄りがなく、ひとりぼっち」「思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく寂しいこと」、とあります。ということは、茶のみ友達がいたり、心を通わすことのできる人がいれば、「孤独」ではないということになります。
二世代・三世代家族の同居で存在感を失い「孤独」に陥いったり。仲間とのあつれきで「孤独」を思い込んだり、など高齢者は「孤独」と背中合わせなのかも知れません。
「哲学 独居を楽しむ」
わが家の地域で、満100歳を迎えた一人暮らしの高齢者がいます。一昨年の冬は、物置の雪下ろしをしたという。昨年の秋は、栽培した「じゃがいも」「ネギ」「長いも」などの立派な成果を見せていただいた。近くに農家をする長男がいるが、元気なうちは「自立」、これを貫いています。
年齢だけからすれば、一般的には「楽」をさせてあげたい気持ちになる。しかし本人の人生哲学は、自分で切り開いて進むことなのです。これが長寿の秘訣なのでしょう。
母と同級生だったという因もあり、時々訪問させていただいています。「顔色よし」「笑顔よし」「前向きな考え衰えず」 ・・・ 全てが勉強になります。孤独ということは微塵もかんじさせません。独居生活を楽しんでいる姿には圧倒させられます。
「孤独を楽しむ」
高齢になるにつれ、「友達が一人欠け二人欠けと寂しくなっていく」、また近所の「茶飲み友達」もしかりです。だんだんと、高齢孤独の心配が高まります。
いずれ、多くの高齢者が、いやでも大なり小なりの「孤独」と向き合わなければならないのです。この時に備えた「孤独」対策を、自らが元気なうちに考えておげば安心です。「孤独」を「不幸せ」と思わず「楽しいもの」と、捉えることが大切なのではないでしょうか。
(写真は、自宅の玄関の上がり口を店舗にして、自作の小物を販売する高齢者・飛騨高山市)
「もう一人の強い自分を創る」
禅の言葉に「把手共行(はしゅきょうこう)」というのがあります。「共に手をとって歩む」という意味だという。四国お遍路をする時に被る「笠」には、一人旅でも「同行二人」と書いてあるという。辛い道程、一人は自分、もう一人の主人公は「自分の中にいるもう一人の自分」なのでしょう。くじけそうになった時、もう一人の自分に励まされ難行突破するということです。高齢孤独突破のために、、もう一人の強い自分、これを創ることを考えてみてはいかがでしょうか。
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