「万が一」
横浜の高齢化社会をよくする虹の仲間が、2004年7月に「老いじたく覚書き」を出版した。人はかならず老いる。老いた時、少しでも自分の考えを取り入れた介護などをしてほしい、という願いを記録に残そうという提案です。
記録を残そうと考えてはいても、私はまだ大丈夫と思うのが人間でしょう。万が一の時の財産分与は如実です。生前にきちんとしていないための遺産相続のもめごとは、よく聞く話です。「万が一」は、こと天国への召喚に限ったことではありません。介護のされかたも重要な事項です。
「急逝」
お世話になっている先輩が、脳障害を起こし病院に運ばれた。倒れる前日会った時は、普通に生活していた。病院にかけつけた時は、声を出して答える状況ではなかった。運ばれて3日目に息を引き取った。「人間、いつ何が起こるかわからない」という言葉があるが、身をもって現実の非情を教えられました。
「急逝」なので、高齢とはいえ準備不足の面の心配が頭をよぎった。しかし現実は、「覚書き」的行為をきちんとしていたのです。
倒れる数日前に、「俺にもしものことがあったら、葬儀費用などはここに用意しておく」と妻に言ったという。でも、妻は聞き流していた。急逝したので用意してあるという場所を見たら、現金、通帳などがあり、今後の生活に何ひとつ困らないように準備されていたという。
「争いなしは証拠が一番」
虹の仲間の「老いじたく覚書き」には、ひとつの実例が載っている。{親が健康な時には問題のなかった兄弟も、親が倒れ寝たきりになるや一変した。来ないだけではなく、電話で親の状況も聞いてくることもない。そして「長男なら看るのは当たり前、何が言いたいの?」と言われてしまった。}という話。
実例のような話はよく聞きます。葬儀が終わると同時に相続の裁判沙汰。介護はせずに、財産要求。さまざまなケースを耳にします。しかしお気の毒なのは、最後は「親がしっかりしておかないからよ」という、「死人に口なし」をいいことにした責任のなすりつけです。
「高齢者デビュー事前準備」
虹の仲間は、痴呆症や脳血管障害などで重い疾患が残った時、介護は「在宅なのか施設なのか」、在宅の場合は「誰にどう面倒を看てもらいたいのか」、施設の場合は「どんな施設を望むのか」、介護ヘルパーの関与は「どの程度してよいのか」、「身体拘束の有無」、などの希望を記しておきましょうと提案しています。
また、「財産の状況」「生命保険」「もしもの時に知らせる友人・知人・など」「遺言書の作成」「葬儀執行の希望」なども、記したり実行を勧めている。
「俺はまだ大丈夫」というお気持ちはわかりますが、もしもの場合に備えた「覚書き準備」をすることは、自らにプラスになることです。高齢者デビューをする前の元気なうちに、自分が報われる覚書きに挑戦を考えてみましょう。
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