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◎ 高齢時代・「家系図の旅」考えよう


 

  「複雑」

  父が元気な時、わが家のルーツを探る作業を開始した。初めてすぐに挫折。遡ること僅かの代で迷路にはまった。そして忙しさを理由に、作業は止まったまま20年以上経過した。

  戸籍謄本や除籍謄本を、取り寄せたり、電話や手紙のやりとりで質問すれば簡単にわかる作業と思っていた。現実は、根気のいる、そして足を使わなければ調べは進まないことを知らされた。

  従って、わが家の家系図づくりは、駅のホームに長〜い年月停車中の状態です。


  
「際限ない事務作業」

  しかし、時間と足を使って調べると、こんな面白い作業はないという。親せきを訪ねての「昔のよもやま話」、「先代の生活や信念・信条」など、話は尽きない。

  こういう身内の内容を山ほど手にすると、先祖の「人柄」「生活」「苦労」などの記述も記すことができ、作業がどんどん増えるという。先祖の兄弟なども調べに加えると、際限ない事務作業になります。


  
「家系図をつくり後世に伝える」

  私の知っている人で、家系図に没頭していた方や没頭している方がいます。既に作成が終わり、立派な巻紙に認(したた)めているのを見せてもらうと、その先祖の歴史の重みを感じます。

  今作業中の方に話を聞くと、やはり、「際限なく調べたい」という気持ちになるという。「時間がいくらあっても足りない」、「後世に代々伝える宝物になるから、正確に記したい」などなどという話を伺うと、思い描くハードルはだんだんと高くなりつつあると感じます。


  
「突然のメール

  東京在住のジャーナリスト・塩谷紘(こう)さんという方からメールが。見ず知らずの方です。家系図づくりをしているうちに、私のホームページに辿りついたという。キーワードは「市渡小学校」でした。

  先祖を辿っているうちに、市渡小学校初代校長・塩谷国三郎という同姓同名を見つけたということでした。さっそく来町され確認した結果、曾祖父ということがはっきりしました。更に、50年忌を迎えた父の精さんも市渡小学校に通学していたことがわかりました。

  塩谷さんは、曾祖父が初代校長としてどんなことをしたのか、筆をおこすことになるのでしょう。「自分の先祖を調べてみたい」という思いが、父や曾祖父の故郷へお孫さんを連れての旅となりました。

  
  
「覚悟してかかる」
  
  家系図をつくるということは、自分の命の根源を正すものです。また、自分の家系の歴史を辿ることでもあります。更に、先祖がその時代時代、どんな生活や生き方をしていたのかを知ることができます。

  半面、苦渋を味わうことも考えられます。家系の長い歴史の中には、都合の良いことばかりとは限りません。親族との争そいなど、知りたくないと思うことにも出会うことが考えられます。

  また、頭で考えたり、足を運んだり、書いたり消したりなどの作業と行動を考えると、元気維持に、ピッタシカンカンの仕事だと思います。


   
「家系図の旅・つくるチャンス」

  元気なうちに、家系図作成に挑戦してみましょう。今がチャンスです。というのは、これからの時代、個人情報を得ることが厳しさを増します。そうなれば、調べることが容易でない時代到来が想定されます。

  若い人たちは、家系図に興味がなく、必要性も感じていないように見えます。面倒くさいことも要因かも知れません。家系図が整理されれば、若い人たちの作業は「付け加え」だけの簡単なことで済みます。

  家系図をつくることについて、賛成しない妻や子供がいることも耳にします。家族の理解を得た上で、「家系図の旅」に出発されることを望みます。いってらっしゃい。



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