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◎ 高齢時代・「排泄物に対する認識」考えよう


 

  「無礼者」

  石原美智子さん著・「あったかい手と手」の一節。

Aさんは、偉いお坊さんでした。今は、お世話が必要なためにホームにおられます。
ある時、寮母さんが、「オシッコどうですか?」と声をかけました。
Aさんはカッと寮母さんをにらんで、「無礼者」と言いました。
Aさんは、みんなに聞こえるような声で言われたことが、恥ずかしかったのです。

それから寮母さんたちは、お年寄りの耳元に口を近づけて、「お手洗いへ行きましょう」と、そっと言うようになりました。


  
「本能」

  父が入院した時は6人部屋。その中の一人は少し認知症ぎみで体も不自由でした。夜は看護師さんがオムツをしてあげます。

ところが、夜中に排泄物が体を冷やすのか、自分で始末しようとオムツをはずしますが、体が不自由なため思うようにならず、ふとんを排泄物で汚してしまいます。本人は後片付けをしたと思い込むのですが、立ち込める臭いが異常を知らせます。

看護師さんがいくら教えてもすぐ忘れ、排泄物を処理しなければという本能だけが正常に働き、この繰り返しでした。


  
「子供に戻る」

  わが家の子育てでは、当時1歳頃にオムツをとりました。家内の話では、時間を決めてオマルに座らせると、その時に排せつするものと思い込むという。今は、オムツを早くはずすことに否定的な時代だとも聞く。

  自宅療養の母がトイレに行けなくなった時から、家内は時間を決めてオマルに座らせました。そうすると、その時に排せつするものと思い込みました。従って、他界するまでオムツのお世話にならないで済みました。汚れたオムツをしていることは、想像しただけでも ・・・・・。

  「高齢になるにつれ、子供に戻る」とよく聞かされます。昔から伝え聞くこの言葉、その通りだなあと思う。


  
「もしもに備える」

  認知症のお年寄りを預かる施設では、「便を壁や廊下にすりつける」「植木鉢にオシッコ」「便を洗面所に詰める」などのことは、日常茶飯事のところもあるという。嫌なことですが、逃れられない人も出ることでしょう。

  介護や看護での排泄物については、お互いに悩む問題です。元気なうちに、トイレや排泄物に対しての知識を頭に叩き込んでおきましょう。どちらの側になるかはわかりませんが、もしもの時に少しは役立つかも知れませんよ。



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