「俳句でエンジョイ」
2007年3月、句集「風」第6号が恵贈されてきました。72歳になる知人が、道内各地を回って書き溜めたものを立派な本にしたもの。1995年に第1集を創刊し、以後継続していることに私は敬服しています。
「時」の歩みは三重である。未来はためらいつつ近づき、現在は矢のようにはやく飛び去り、過去は永久に静かに立っている。このドイツの詩人シラーの言葉が、知人の俳句継続の支えになっているようです。
掲載されている作品の一部を紹介します。
「春風や 風邪を拗(こじ)らす 与太な奴」
「蕗の薹 木(こ)ぼこに 衣着せたよな」
「ふき味噌も 手慣れたものよ 年の却(こう)」
添えられた手紙からは、俳句を生きがいに「自遊人」を楽しんでいる様子が伺えます。健康というより元気の泉として「俳句」をたしなむ姿、うららましく思います。
「家族と生きる俳句」
2006年秋、友人から出版祝賀会の案内が届いた。若い頃から「家族と生きる俳句」をテーマに詠み続け、公務員を定年退職するのを機に句集を出版したものです。句集は約400ページの豪華本でタイトルは「湾」。
母についの作品
「ガンと言う二字は禁じの雪しまき」
「腰かがめ鳥賊裂く母や湾の村」
父についての作品
「戦傷の吉兆冬の虹」
「地吹雪の父の肩越しいつも湾」
奥さんと子供についての作品
「ひらがなの名前大きく入園す」
「雛かざり妻は昼より酢の匂い」
「雪の日の合格手のひらあたたかし」
人間の現実生活を詠い、それを励みに生活したことが伺え、「俳句」は「遊びごと」でないことを感じます。
自分にムチうち、自分を奮い立たせる役割を「俳句」が担っていて、これもうらやましく感じます。
「俳句で社会貢献」
大先輩の知人は、17歳の時から詠み続け、発行した句集は51集にまでなっています。継続する努力のすごさに驚き「感服の一語」です。
高校野球に明け暮れた少年時代に「俳句」詠むことを考えた動機は、級友に勧められてだという。そんな単純な動機が「俳句」にはまるのですから、隠された魅力があるのでしょう。
句の数が膨大なので、紹介するにも選ぶのが大変です。
「滅びゆく喫煙圏や去年今年」
「畑うてり麻雀競馬縁なくて」
「繰り返す郭公森百年の静けさに」
継続している「俳句」、教員生活現役の時は学校通信・学級通信・校長通信や子供に俳句を教えることで役立ったという。
退職後、高齢者に対する俳句講座や俳句講演で社会貢献している姿を見ると、「俳句」は趣味を超えた活躍の可能性を秘めていることを感じます。
「熱中することを見つけよう」
高齢になると、体のあちちに不都合なことが起こったりします。老化現象も不安になります。
こういう心の不安を払拭するには、趣味や特技をいかしたことに熱中することも効果があると言います。
「心の不安」を受け入れないために、元気なうちに熱中するものを見つけましょう。「俳句」もその候補のひとつに入れてはいかがですか。
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