「広い庭の管理」
高校時代、「となりの芝生は緑」という映画が封切られたことが記憶に残っています。洋画専門館「巴座」という劇場でした。
イギリスなどヨーロツパの家の庭は、日本と違い広々と芝生が敷かれているイメージが、当時の洋画から感じられた。芝生の中での動きが健康的にも見えた。
それに比べ日本の庭は、庭木の観賞が主目的で動きが少ないように思った。高齢者の癒しのため、というイメージにも写った。
今、イギリスなどヨーロッパでは、広い庭を一人暮らしのおばあちゃんが管理しているケースが増えているという。広い庭が、高齢者にとっては悩みとなりつつあるのでは。
「地域の庭事情の変化」
わが家の地域は農家地帯。サラリーマンであっても、それなりの広い土地を所有している人がほとんどでした。
広い庭には、おんこの木やつつじ、松やナナカマドなどが植えられ、それに花畑付きというスタイルが定番でした。しかし最近は、この広い庭の半減または消滅が目立ちます。
わが家も時代に右習えです。おんこの木やつつじなど同じものが何本も植えられ、その草取りなどの管理が思いのほか大変です。この解決のため、庭を3分の1に減らしました。それでも維持管理は大儀な仕事になっています。
「重荷の庭」
函館の住吉町を散策していたら、見知らぬ一人暮らしのおばあちゃんに声をかけられました。話題はなぜか庭のことに発展。
旦那様がバリバリ働いていたころは、会社の役員にまで昇りつめたという。趣味は庭づくりということで、広い土地を購入した。木だけにとどまらず石にも趣味が広がり、立派な庭となり、部下の人たちとの飲み会場に役立ったという。
ところが、会社もやめて高齢になるにつれ、高い木の手入れができなくなった。そうこうしているうちに他界。この維持管理がおばあちゃんにとっては大変なことのようでした。
見知らぬ私に教えるのですから、庭木の管理に嫌気がさしているのでしょう。どうしてもというので、庭を拝見させていただいた。石を配した立派な庭だが、プロの庭木師を頼むとなれば、年金暮らしには重荷の負担に感じました。
「管理無理時代の対策」
わが家の近所にも立派な庭の持ち主がいます。面積にして600坪を超える広さです。定年後は庭の手入れを専業仕事として、一年一年を積み重ねてきたのを見ています。
手入れの行き届いた庭は、通りすがりの人の目を楽しませてくれました。こういう点から見ると、庭というのは「社会貢献」の役割を果たしているように思えます。
ところが高齢になり、管理が無理という状況に追い詰められています。これだけの広さの庭の管理を業者に頼むとなると、結構な金額になります。
庭の管理が大好きという後継者がいれば別だが、そうでない場合の庭の管理は重荷になるケースが多いように感じます。
「もしもの時の対策」
元気・元気・元気で、庭の管理を余生の楽しみにしている高齢者も多い。庭の手入れをすることは、健康維持・元気維持にはとても役立ちます。
しかし背することに、管理が出来なくなった場合という問題点のあることも忘れてはならないことです。
最近、おばあちゃんが広い庭の草むしりをするという姿が、目につくことが多くなったように感じます。田舎に住んでいれば「草ぼうぼう」にしておくことは、世間体がありできません。ついつい無理をすることになります。
男性諸君、元気なうちに考えましょうよ。わが家の庭の「将来構想」を。
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