「一方的」
ご高齢になれば、一方的に話を続ける人もいるという。自分の思っていること、考えていることをしっかり話すということはとても大事なことですが、なぜか苦言も多い。
ご高齢の方と世間話をすると、相手9割で私が1割ということもよくあります。1割と言っても、相槌などが主な発声です。
人ごとではない、父の相手かまわず一方的にしゃべりまくった姿は忘れられないことです。いくら「自分だけ話してはダメ」と言っても、聞く耳もたずだった。私も、いずれ父のようになるのでは、と心配です。
「事情によっては一方的もOK」
ご高齢者が、悩みがあったり、寂しかったり、生きるはけ口のグチなどは、一方的になってもかまわない必然性があると思う。
お世話になった大先輩から、「元気ですか」「どうしていますか」という心配の電話をいただくことがあります。こういう場合、相手の近況報告が長いことが多い。それこそ1対9です。体調のこと、かかりつけのお医者さんのこと、子どもさんのこと、無くなった連れ添いのこと、・・・・・
聞いてあげることが、安心感につながり、満足感を与え、元気をつづけることにつながるように思う。
「聞いてあげるボランティア」
全国には、ご高齢者の話を聞いてあげるボランティ活動があちこちにあります。この活動のお陰で、生活維持を頑張っているご高齢者も多いことでしょう。私の近辺でも民生委員さんなどが、活動しているケースもあります。
注意すべきは個人の人権。良いことだから、という積極姿勢を求めないご高齢者もいることでしょう。また、同居の有無にかかわらず、親族がいやがる場合もあるでしょう。「話を聞いてあげる」という場合、気を使う必要があるでしょう。
「傾聴」
2007・11・1の北海道新聞の「ひと」欄に、がんを患いながら「傾聴」ボランティア活動に励む川本俊憲氏が載った。
「誰でも心の中にわだかまりや悩みがある。それを聴いてあげることで気持ちの整理がついたり、生きる意欲を取り戻してもらえる」。
6年前、本人自身が腎臓がんを発病し、その立場になった。「再発率は60%と告げられた。死と直面し一緒に考える下地ができた」。
「傾聴」は、苦しみや孤独感を和らげる効果のある方法だと説く。
「日常が行動」
ご高齢の方から、「寂しくて」という声を聞きます。続けて、「家族は介護の世話をよくしてくれる」、しかし、「会話はあまりしてくれない」ということを伺うこともあります。
私たちは、いずれご高齢になります。現実です。私たちも、日常生活の中で「話を聞く」ということを心がけてみましょう。これによって、誰かの元気づけになってるかも知れません。これがボランティアです。
元気・元気なうちに、「傾聴」について考えてみましょう。
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