島川小学校の児童2人が、かんぽ作文コンクールで 「北海道郵政局長賞」 を受賞しました。2人とも・とても心温まる作文で、文章力の高さに感心しました。今回は、5年生・藤田幸志(たかゆき)君の作品を紹介します。
「産んでくれてありがとう」
「オギャー」 手術室に元気な声がひびきました。帝王切開という手術が成功し、ぼくが生まれてきました。でもみんなは、手術中に・お母さんかぼくのどちらかが死んでしまうと思っていました。お母さんは体が弱かったので、子供を産むのがたいへんだったからです。だから、二人とも無事だったのはきせきでした。お母さんもお父さんもおばあちやんもお医者さんも看護婦さんも、みんな喜びました。
ぼくのお母さんは、心臓が弱いんです。ずっと薬を飲んでいます。それに、ぼくが生まれる一年前に、子どもを一人なくしています。その子は生まれる前に死んでしまいました。だから、お父さんもお母さんも子どもがほしくてたまらなかったのです。今度こそは産みたいと思っていました。でも、自分の飲んでいる薬の成分でぼくが死んでしまうかもしれないと、とても心配したそうです。
ぼくを産む前、お母さんはもう一つの悩みをかかえていました。お母さんの心臓はとても弱かったので、手術をしなければなりませんでした。弁をとりつける手術です。弁は血液を心臓に入れたり出したりする働きをします。それを人間の弁とにているブタの弁にするとか、それとも機械の人工弁にするかということです。ブタの弁は子どもは産めますが、三年ごとに弁をとりかえる大手術をしなければなりません。体の弱いお母さんには大変です。それに比べると、人工弁は一度とりつけるだけでいいのですが、子どもを産むことができなくなります。
この問題は、お母さんには決められなかったので、お父さんがきめました。お父さんはそれを決めるのにずいぶんなやみました。ずっと無口で、ご飯を食べなかったそうです。
お父さんが決めたのは人工弁でした。とりつける手術は、ぼくが生まれてからすることになりました。だから、お母さんの心臓がもつかどうかはだれにもわからなかったのです。お母さんは命がけでぼくを産もうとしていました。だから、お母さんがぼくを見たのは、生まれてから二週間たってからでした。お母さんのような病気で子どもも元気で生まれたのは、とても珍しいそうです。世界で六例目だそうです。
ちなみに、このことを知った新聞社やテレビ局が、お母さんに取材をさせてくれるよう申し込んできました。でもお父さんは、お母さんがテレビにうつるのをいやがりました。「うちのお母さんは見せ物ではない」 といって、テレビ局の取材をことわりました。そして、新聞記者だけに取材をさせたそうです。その記事は今でも大切にとってあります。このように、お母さんはいろいろななやみをせおい、病気をのりこえてぼくを産んでくれた人なのです。
ぼくはそんなことを知らずに大きくなりました。お母さんは元気だと思っていました。実際ぼくのお母さんは、他の人からはごくふつうの人に見えます。ご飯を作ったり、せんたくをしたり、おばあちゃんを買い物に連れていったりします。虫が大きらいなくせに野菜作りがしゅみで、いつもミミズをこわがっています。このように元気そうですが、実はただのお母さんでないのです。
ぼくが小さかったときのことです。お母さんは自分のむねを指指して、「聞いてごらん」と言いました。ぼくはお母さんのむねに耳を当てました。するとお母さんの心臓はカチカチという音がしました。ぼくは、心臓の音はドクンドクンとなると思っていました。だから、どうしてこんな音がするのかと思いました。それは人工弁の音でした。お母さんはやさしく教えてくれました。
ぼくの家では、お母さんが家事をやれなかったり、つかれてぐったりすることのないよう気をつけています。ぼくとお父さんは、できるだけお母さんに協力するようにしています。お母さんに言われたことは、なるべくすぐやるようにしています。お母さんにはいつまでも元気でいてほしいと思います。だから、お父さんと二人で、これからもお母さんを大切にしようと思います。
お母さん、ぼくを産んでくれてありがとう。お母さんは、ぼくにとって世界で一番大切な宝物です。
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