中山地区に住む大野農業高校 生活学科3年 中川慎司さんが、南北海道農業高校意見発表会で最優秀賞を得た 「届け心に 私の思い」 をご紹介します。障害の兄弟と助け合いながら日暮。自らボランティアのキャプテンとして大野町の協働まちづくりや地域のために働く姿は、感動を与えてくれます。こういう実践をこなしての意見発表は説得力があります。
タイトル 「届け心に 私の思い」
昭和62年2月、私の一つ年下の弟は脊髄に重度の障害をもって、この世に生を受けました。すぐに生死を賭けた手術が行われましたが、弟は、命と引き換えに、胸から下の機能をすべて失ってしまいました。
その3年後の平成2年5月、二人目の弟も、心臓と足に障害を持って生まれ、それから現在に至るまで、両親は二人の度重なる入退院と介護、通院や通学の送迎に、毎日追われています。
この話を聞いた時、皆さんは何を思い、何を感じ、何を考えましたか。私が今、こうして堂々と弟達のことを話せるようになったのも、この現実をすべて受け入れ、プラス思考で前向きに生きる両親を見て育ち、家族の絆も誰にも負けないくらい強いと思っているからです。
先入観による偏見や差別で流した悔し涙は、私に考える力と精神的な強さを与えてくれました。そして、私達家族を支えてくれている人達のおかげで、人を信じる事、支えあっていく事の大切さを学んでいます。
しかし、そんな中で今でも、心に重くのしかかっている言葉があります。それは、いつも会話の最後に、おまけのようについてくる 「かわいそうに、一生苦労するね」 という、障害を持った人や、その家族に同情する言葉です。
相手の人は優しい言葉のつもりで、かけたのかも知れませんが、「かわいそう」 という言葉は、人間の愚かな言動や行為によって、傷ついたり、傷つけられたりした時に使うべきで、「障害者」や「家族」に対して、使うべき「言葉」ではない、と私は思っています。かわいそうとか、不幸だなんて、自分自身で感じることであって、周りが勝手に決めつけるものではないのです。
やさしさや、思いやりの表現である言葉は、勇気と励みになり、生きる希望や力にさえなります。しかし、その反面あわれみや同情は、対等な人間とみなしていない時にも使われ、それが時として、人を傷つけている事があります。障害者を弱い立場、逆境に耐えなければならない存在である、と誰が決め、追いやったのですか。
軽い気持ちで言った事が、いじめや差別につながることも多いのです。ただ差別と区別の判断をどこで付けるかはとても難しいことです。自分の立場に置き換えて見ることが、とても大切なのではないでしょうか。また、こうして自分自身の考えを声に出さないと、相手には伝わらないし、理解もしてもらえない、そう気付き言葉の難しさを改めて感じました。
そんな時、障害を持たざるを得なかった人たちに視点を置いてみると、視覚や聴覚障害のための点字や手話などの他にも、言葉の発達に遅れや、かたよりを持つ人々が、自分の要求を周りに伝え、コミュニケーションをとれる手段があることを知りました。
それが、「マカトン法」 です。イギリスで開発された、動作サインと言葉を同時に使う事によって、言葉の豊な伝え合いを可能にす指導方法です。年齢、障害の種類や程度を問わず、それぞれに指導効果が期待できるそうです。
すでに札幌でも行われている「マカトン勉強会」が函館でも始まることを知り、私も7月から参加させてもらいます。まず自分自身がマカトンサインを日常会話で自然に出せるようになり、言葉を理解していても、表現できづらかった人たちとの会話に生かしてみたい、と思っています。
「人にやさしく 心に財産を」 これは私が所属するボランティア部のスローガンです。農業高校だからこその、広大なキャンパスという、恵まれた環境のなかで、家畜の飼育や作物の栽培を通して、命の重さや、辛さや、喜びなどを学び、ボランティアでは老人ホームや独居老人宅の訪問、地域の清掃活動、福祉施設との交流、赤十字への積極的な参加などをしています。
たくさんの人達との出会いは、自分の視野を広げ、楽しみがらも支えあう事の大切さと必要性を感じさせてくれます。そして喜んでくれる人達がいる、その心の充実感と、きれい事で済まされない現実とのギャップを身近で感じてきた体験は、自分の進むべき道を教えてくれました。
一時的ではない介護は、皆さんが考えている以上に、本人を含め家族は不便な事や不自由な思いをしている事が多いのが現実です。私も支えられるだけでなく、少しでも周りの人を支えられたらとの思いと、障害を個性と受け止めて相手を理解し、共生できるそんな社会になってほしいとの夢と願いを込めて、将来はぜひ障害者施設で福祉に携わっていきたいと考えています。
また今後はこれまで以上に高齢化が進み、介助や介護を必要とする人は確実に増えてきます。そのために、私は今、専門的な介護知識や技術を身につけようと、訪問介護員2級の資格を取得するための勉強にも取り組んでいます。
的確な判断力と知識、技術はもちろんですが、それに見合うだけの心が成長していかなければ、思いやりのあるゆとりの介護は成り立ちません。そして私の福祉に対する思いが一人でも多くの人の心に届き、少しでも共感してもらえるように、これからも自らの心と技術を磨いていきたいと思います。福祉の理念でもあるノーマラゼーションを理想論にさせないためにも・・・・・・・。
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