昨今は情報時代。町内でも団体がさまざま形で伝達を工夫していますね。私の住む中央町内会は、発足時から町内会だよりを。市渡老人クラブは、寿楽会ニュースを。自然に親しむ会・文化財保護研究会・そば愛好会・・・・・まだまだ沢山。このほど 「光明寺」 さんも参入してきました。
光明寺は、1767年に創設された曹洞宗の寺。住職は 冨田豊實 さん。長男の息子さんが副住職に着き、パソコンも可能になったことが一因かも。題字は住職の奥様が健筆をふるい、親子で力を合わせての発行です。「継続」は簡単なようで難しいが、途絶えることのないことを期待したい。
副住職の編集後記には、「修行を終えて帰山して一年半経ちました。本紙を通してお寺に親しんでほしい、そして理解してほしい。本紙の発行を楽しみにして下さるよう、修行のひとつと考えて頑張る」という主旨が記されています。わかりやすい編集内容を期待したい。初刊はお盆特集号 タイトルは 「涼風献上」。この中から、住職の巻頭言を紹介いたします。
巻頭言 冨田豊實 住職 (2003年8月1日)
本年もお盆の季節となりました。おそらくは一年で最も多くの人がお寺を訪れる時期であり、我々僧侶の側からすると、普段はなかなかおいでになることのできない多くの皆様と再会し、その懐かしい顔を見ることができるうれしい季節でもあります。
ところで皆様は、お盆という行事がもともとどのように始まったか、ご存じでしょうか。もともとの語源は「ウランバーナ」といい、日本語に訳すると「逆さ吊り」という意味です。おおよそお盆のイメージとは似つかわしくない語源です。私も初めて知ったときは、お盆と「逆さ吊り」とどのような関係があるのだろう?」と思いました。
お釈迦様の弟子に、目連尊者という人がいました。彼は神通力によってすべてを見通す目を持っていたのですが、ある時その目を通して、亡くなった自分の母が、地獄(餓鬼道)で逆さ吊りにされて苦しんでいる様を目の当たりにしてしまいます。目連尊者は神通力で母にご飯を渡すのですが、受け取るとそれらは全て炎となってしまい、母の口に入りません。困った目連尊者は、お釈迦様に相談します。
お釈迦様はおっしゃいました。「8月15日で、我々夏の修行期間が終わる。その日に先祖のために心を込めたお供えをし、またそれを有縁無縁の霊達に手向けるならば、その功徳によって父母をはじめとする先祖は逆さ吊りの苦しみから逃れることができる。また、もし父母が存命中ならば、福楽にして寿命はきわまりないだろう」。
この逸話を見てみるとあることに気づきます。それは、お盆はもともと「親孝行」から始まった行事であること、また、お釈迦様の言葉によると、その供養によって福を得るのは、亡くなったご先祖だけではなく生きている親も同様であること。今の世の中、子供が親を敬わなくなった、親の威厳が低下したとよく耳にしますが、私は、このお盆の風習がある限り、親を思う心、「孝行」の心は我々の深いところにしっかりと根づいていると思うのです。
お盆の墓参りを先祖への孝行(恩返し)ととらえ、それから派生して自分の親を思い、孝行の心を新たにする。お盆の意味をそのようにとらえると、一層尊いものになるのではないでしょうか。
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