水俣病の現場には、さまざまな葛藤のドラマがあったようです。水俣病の語り部 杉本栄子さんのドラマを、上甲晃さんが記しているのでご紹介します。
「うつらない病気」 が 「うつる病気」 と誤解されたために、耐えがたい偏見と虐待、いじめの攻撃を仕掛けられる結果に。
栄子さんの父親は、「うつって死んでもいい、母ちゃんの側を離れない」 との姿勢を貫いた。栄子さんがあまりの苦しさに、「みんなで死のう」 と父親に。父親は、「母ちゃんが死んでから自分たちのことは考えよう。自分を大切にせんと、人は大切にしてくれん」 と諭した。
「いじめ返したい」 と言ったら、 「ここまでやってこれたのも村の人たちのお陰だ。村の人たちが悪いのではない、病気が悪いのだ。村の人たちが変わるより、自分たちが変ろう」、と父親は答えたという。
タイトル 「見抜け」 志ネットワーク代表 上甲 晃 さん
水俣病の語り部である杉本栄子さんの話は、いつ聞いても心を揺さぶられる。そして、聞いている人たちの涙を誘う。今回もまた、「青年塾」の塾生諸君、志ネットワークの会員の人たちなど、多くの人たちが涙をこらえきれなかった。私もまた、どれほど涙を流す思いをしたことであろうか。
杉本栄子さんの話の中で、いつも感心するのは父親の存在である。私は改めて、父親の存在の偉大さ、家族を諭す思いの深さ、どんな困難にも耐える強さを教えられた気がしてならない。
その時々に、父の言うことを栄子さんは、理解できなかった。「何を言っているのかわからなかった。どうしてそんなことを言うのか理解できなかった。時には、父は狂っているとしか思えないこともあった」 と、栄子さんは述懐する。
そして最近、父親が亡くなった歳を超えてみて、初めて父の言うことがわかってきた気がするという。父親とは、本来、そんな存在なのである。「物分りのいい父親」であるよりも、「いつか必ず分かるはずだ」と教える存在、それが本当の父親の役割ではないだろうかと、改めて考えさせられた。
栄子さんの父親が教えたことの一つは、「見抜く」ことだ。「栄子、馬鹿と言われて腹が立つようではいけない。相手がどんなつもりで馬鹿と言っているのか、それを見抜かなければならない」。また、「人と話をする時には、どんな時でも、相手の目から自分の目を離すな。そして、それは本人が言っていることなのか、他人が言っていることの尻馬に乗って言っているにすぎないのかを見抜け」とも教えた。
ある時、酔っ払った村人が、「村を出て行け」と家の前で叫んだことがる。その時に、栄子さんは3人と向かい合った。しっかりと相手の目を見て、「どうして村を出て行かなければならないのか」と毅然として聞き質した。
やがて相手は、栄子さんの迫力に押されたのか、すごすごと退散した。そのやりとりを家の中で聞いてきた父親は、栄子さんを抱きしめた。「もう安心だ、お前は一人でも立ち向かえる。私はいつ死んでもいい」、その一言を栄子さんはいつまでも忘れない。
栄子さんの言葉は重い。「知ったかぶりは罪。嘘をつく人は、嘘の上に嘘を重ねる。知らないことは知らないと、率直に言えることが大事。スパイほど口がうまい。味方と思った人たちにどれほどだまされたことか。結局、敵の中に友達がいたりした。敵は本音を言う。だから、通じ合うと、本当の友達になれるのは当たり前だ」。
私達は栄子さんの話に感動のあまり、栄子さんの作業場まで付いていってしまった。海辺は、すべてを忘れたかのように、青空の下で平和であった。
|