青年塾 代表 上甲晃さんは、毎年大野町で「青年塾・北海道クラス」を開催しています。今年は、2月13日から15日に開催し、農業を学ぶことになっています。
代表は、松下政経塾・塾頭と副塾頭を歴任。退職後・志ネットワークを立ち上げ活動をしています。
その青年塾・募集要項に記した、「青年塾・設立の思い」をご紹介します。
志 教えません 自分でつかんでください
青年は、未来に生きるひとたちである。
青年にほとばしる活力がなければ、未来は暗い。
青年が現状に甘んじていて、未来が創造的であるはずがない。
青年に挑戦の意欲が乏しければ、未来への期待などあるはずがない。
青年の生きるエネルギーは、未来のエネルギーである。
「あなたは くたびれていませんか」
私は、日本の青年達を見ていて、余りにも窮屈で、画一的で、殺那的で、夢が小さいことに悲しい思いをしている。もちろん、これは一般論である。なかには、高い志、大きな夢をもち、元気一杯、未来に向けて挑戦的に生きている人もいるだろう。
ただ、その数が余りにも少なすぎることが気になるのである。「日本の未来を明るいものにするためには、未来を担う青年達が、生き生き、はつらつとした生き方のできるようにしなければならない」。私は、自らの人生にそんな志を立てたのである。
「おおきな夢・目標、志をもつと、人は元気になる」
それは、お金をたくさんもらえる時だろうか。世の中が安定して何の心配もない時だろうか。本当に色々考えた。そして私が得た結論は、「志をもつこと」であった。人は、志、すなわち自分の人生の高い目標を定めた時、限りなく大きなエネルギーが沸いてくるのではないだろうか。
人は、生きる目標をもたないと、努力する気になれない。生きる目標をもたないと、忍耐する心ももてない。生きる目標をもたないと、達成の喜びを感じることができない。生きる目標をもたないと、寝床から起き上がる意欲さえも惰性でしかなくなる。
裏返すならば、生きる目標をもつことが、生きる力の根本ではないか。目標があるからこそ、努力できる。目標があるからこそ、忍耐ができる。目標があるからこそ、達成した喜びが味わえる。私は、そのように確信するに至った次第である。
そして、その目標の大きさが、生命力の大きさと比例していることにも気がついた。目標が大きくなればなるほど、生命力は旺盛になるのだ。
たとえば、富士山に登る目標を立てた時と、近くの小高い丘に登る目標を立てたときとを比較してみればよくわかる。富士山に登ると決めれば、トレーニングにも力が入る。装備を整えることにも細心の注意を払う。天候の様子にも関心が行く。また、登る時の苦労が多い分、歯を食いしばる場面も多くなる。だから、頂上に立った時、人生の喜びとも言うべき感動にひたることができる。
これが、近くの小高い山程度の目標であれば、準備なんかしないし、登る途中では大した苦労もない。だから、頂上にたどりついた時、心地よさを感じても、深い感動を味わうことはない。
生きる大きな目標をもつことは、自らの生命力を大きくすることと深い関係がある。命一杯に生きるためには、人生に大きな夢・目標、志をもつことである。「青年塾」は、その大きな夢や目標、志を育むことを最大の目的としている。
「まず、広い視野をもつことから始まる」
大きな夢・目標、志をもつためにまず大切なことは、視野を広くもつことである。世の中の動きにも歴史の流れにも、まったく関心がない。それでは夢や志など生まれてくるはずがない。世の中を知れば知るほど、現実の矛盾に気がつく。そしてそれが怒りとなり、変革の取り組みへのきっかけとなるのである。
最近の若い人たちの歴史や時代の流れに対する無知・無関心は、目に余るものがある。常識程度のことについても、まったく知らない人が多すぎる。愕然とする。こんな狭い視野と浅い見識では、目標や夢、志などもてるはずがない。「青年塾では、歴史の流れ、時代の流れにしっかりと目を向けて、自らのおかれている時代を知り、そして自らの使命や夢・目標、志をいだいてもらいたいと思っている。
また、できるだけ現地現場に足を運び、現実に根ざして生きている人達の生き様に学ぶことにも力を入れる。自らが理想とする生き方のイメージが沸いてこないのは、志ある人たちとの出会いがないからだ。本当に志をもって生きている人と出会うことにより、私たちは、生きる勇気を得るとともに、生きるモデルを示される。
また、大きな夢・目標、高い志を実現するためには、自らを人間的に成長させることが何よりも求められる。そのために、足元をしっかりと固める実践も重視している。「青年塾」の研修指針の一つは、万事研修。「すべてが勉強になる」との考えにたち、可能な限り、「自分のことは自分でしてもらう」 ことを基本にしている。「手取り、足取り教えません。自らの強烈な主体性により、何かをつかむ」、それが「青年塾」の学び方である。一人でも多く、有為の青年の参加を望む次第である。
人生の仲間を得られる 「宝庫」 である
「青年塾」は、既に7期生までの塾生が、入塾した。その合計は、534人。過去に入塾した諸君は、「青年塾」に参加して得ることができた、何より大きな財産は、仲間である」という。その通りだろうと思う。最近の青年は、概して住む世界が狭い。せいぜいが、職場と家族と、仕事の関係者との付き合いぐらい。そんな狭い世界の中に閉じ込められていては、壮大な夢や目標、志が生まれてくるはずがない。
人は人によって育てられ、人によって刺激され、励まされる。その仲間が、「青年塾」に入ることによって、全国各地に広がる。これだけの仲間と出会おうと思ったら、時間とお金がいくらあっても足りない。「青年塾」に参加することにより、仲間や友達がいっぺんに増え、世界が広がり、人生が変わるだろう。まさに、「青年塾」は、友達や仲間に出会える 「宝庫」 なのである。
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