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◎今に全力を尽くせ 明日がひらける 


  景気が悪くなると、経営の歯車が狂いだしますね。狂いだしてくると、なにもかもおかしくなってしまいます。こういう時は 「信頼」 の出番です。

上甲 晃さんの 「みんなが幸せになってこそ 自分も幸せになれる」、これですよ。常日頃、これを 「心のポケット」 に入れて日暮していれば、「信頼」 はだまっていても得られます。

信頼は、自分自身を磨くことによって得られます。それには 「志」 を求め続ける強い精神が必要です

上甲 晃さんが提唱する 「志」 (不確かな明日を煩う前に 確かな今を励め)を読んで、高める努力をしてみてはいかがですか。  


 今に全力を尽くせ 明日がひらける  志ネツトワーク・青年塾代表 上甲 晃 さん

 
  最近、なぜか「志」が脚光を浴びています。
  私は10年前に、志ネットワークを立ち上げました。
  当時、「志って、何?」とか、「志では飯が食えない」とか、
  「志など古い古い」といって鼻であしらわれました。
  確かに、バブル全盛時代、日本人は、「志」を死語にしてしまいかねないほど
  鼻息が荒かったように思います。

  「志では召しが食えない」と批判されたことも

  
それ以後も、「志では急場をしのげない」、「志ではV字型の回復など望めない」、「志を口にするほど現実は甘くない」などと、これまた「志」は相手にされなかったのも事実です。

  リストラの嵐が吹き荒れました。嵐の前では、「志」は吹き飛ばされかねないような頼りない立場に立たされました。年配者の首を切り、大量の人を解雇することにより、目先の利益が上がった企業もあります。その企業は、現代の英雄のようにもてはやされました。大胆な首切りが美談となればなるほど、「志」は影が薄くなったようにも見えました。目先の利益を優先すればするほど、「志」が遠のいていきました。

  しかし、目先の利益が上がっても、それがすぐ尻すぼみになることがわかってきました。目先の利益が上がったと思った、次の瞬間、美談がくずれていく企業が続出しました。「目先の利益だけでは、本当の生き残りにならない。目先の利益ばかり追いかけると、何か大きなものを失いかねない」と、多くの人たちが気づき始めた時から、「志」は埃を払われて、陽の目を見始めたようです。

  「万策尽きて、志が残る」

  そしてさらに、小手先の改革が、抜本的な生き残りの道ではないと気づき始めた時、もっと根本に立ち返って、基本から考え直し、出直さなければならないといった気運が少しづつ出てきたように思います。
 
  最近の私の造語「万策尽きて、志」です。バブルが崩壊して以来、あの手、この手と改革の手を尽くしてきたけれども、結局、すべては付け刃、刃がぼろぼろにこぼれ落ちてしまった。その時初めて、原点に立ち返ろう、根本に立ち返ろう、基本から考え直そう、そんな時代の雰囲気が、最近になって、わずかに出てきたようです。

  昨年末、ある大手都市銀行の幹部の人たちに話をさせていただく機会がありました。地方銀行では何度も講演の機会がありましたが、日本を代表する大手都市銀行で幹部に対して講演させていただいたのは、初めてです。私は、直感的に「銀行は変わり始めた」と思いました。今までは不良債権の処理など後ろ向きの仕事に追いまわされてきた銀行が、やっと、前を向き始めたように思われました。そして、「志」の話を私から聞きたいと言うわけです。世の中、変われば変わったものです。しかし、私からすると、なかなかうれしい変化です。

  「すべて、原点・基本に立ち返って出発」
  
  銀行の本来の役割は何か、銀行の使命は何か、銀行の原点は何か、そこから考え直そおうという姿勢は、大歓迎です。私も、懇親の力を込めて、「銀行は世のため人のために存在する。自らのために人を犠牲にするような経営は許されない。自らの利益の回復を図る前に、自らの信用の回復を図るべきである」と訴えました。

  最近、我が意を強くしていることがあります。それは、この厳しい経営環境においても、底力のある堅実な経営を進めて、立派な経営をしている会社は、押しなべて、「志が高い」ことです。それは「自分さえ良ければいい」といった偏狭な自己本位の考え方ではなく、「皆が良くならなければ、自分も良くならない」と本気で考えている会社が、ちゃんと成果を上げていることです。

  「みんなが良くなれば自分も良くなる」と考えられるのは、「志が高い」ことの裏返しです。そして、その考え方こそ、天地自然の法則にのっとったものであります。なぜならば、私たちは、あらゆるおかげで生きているのですから、「みんなが良くなることこそ、自分が良くなる道」と考えられるのは、まさに天地自然の法則そのものであります。「自分さえ」、「自分だけでも」と思うから、行き詰まるのは、天地自然の法則に反しているからです。言葉を変えれば、「志は、生き残りのために不可欠の条件」でもあります。お互い、新しい年の出発に当たり、「志高く生きる」ことを誓い合い、たくましい歩みを進めたいものであります。

  「七年の独立稼業から得た教訓」

  さて、私の独立稼業も、七年目を迎えました。振り返ってみると、無我夢中で走り続けた七年でもありました。そしてこの七年の結論は、「今にベストを尽くす」。言葉を変えるならば、「確かな今を懸命に励めば、不確かな明日がひらく」。

  私はこの七年間、”手抜きをする”ことを徹底して排してきました。例えば、講演を依頼された時でも、一度も手を抜いたことはありませんでした。いつも、「これが最初で最後」と自分に言い聞かせてきました。「これが最初」というのはマンネリにならない、初心を忘れない、との意味です。そして、「これが最後」というのは、悔いのない仕事をするという決意です。”一期一会”といいますが、まさに、「これが最初で、最後」の気構えは、今の瞬間を大事に、全力を尽くす心がけです。

  一つだけ自慢させてください。この七年間、私から「講演させてください」とお願いに歩いたことはありません。にもかかわらず、最近は、引き受けられないほど各方面から講演の依頼がきます。それは、私の講演が優れているからではありません。独立以来、私がただ一つ心がけてきた、「手抜きをしない。この瞬間、この機会、今に全力を尽くす努力」が、人々の心にいささか響くところがあったようです。私の講演を聞いていただいた方々の中の何人かは、「うちでも話して欲しい」とのお声掛けをいただき、その繰り返しから、ひとりでに仕事がどんどんと広がっていったのです。

  「これは最初にして、最後の仕事のつもりで真剣に」

  その経験から、私は言うのです。「今この瞬間に全力を尽くせば、明日がひらける」。だから、「明日を思い煩うな。今に全力を尽くせ」。それは一つの人生の基本的な原則ではないだろうかと、実感しています。

  明日は、何時の時代も、そして誰にとっても不確定なものです。確定的な明日など永遠にありえないのです。その不確定な明日を思い煩うと、今に力が入らなくなってしまいがちです。世に言う、「浮き足立った状態」になります。しばしば、「こんなことをしていて良いのだろうか」と今を不安な気持ちで過ごしている人がいます。これがもっとも愚かなことなのです。山登りを考えてみてください。「これではたして頂上まで上れるのだろうか」と心配して、今の一歩を進めなければ、永遠に頂上には立てないのです。目の前の一歩を確かに踏みしめて、着実に歩むこと、それ以外に頂上に到達する方法はありません。まさに、「今に全力を尽くせば、明日がひらける」のです。

  商売であれば、目の前のお客様を感動させるように全力を尽くす、その努力が商い繁盛の道なのです。目の前のお客様をおろそかにしていて、繁盛などありえません。目の前のお客様が、自分にとっては「最初にして、最後のお客である」との気持ちで全力を尽くす時、きっとお客様は心から喜んでいただけるはずです。また、感動もしていただけることでありましょう。その感動、喜びが、私たちの仕事の明日をひらいてくれるのです。また、それ以外に道はないとさえ言えます。

  確かな今日、確かな今、確かなこの瞬間に、全力を尽くしていきましょう。その努力が明日をひらくと確信して。

  志ネットワーク 青年塾 代表  上甲 晃さん プロフィール

    昭和16年大阪生まれ  昭和40年に松下電気産業入社 昭和56年に松下政経塾・塾頭
    同塾常務理事 副塾長を歴任   平成7年退職

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