父は、林業の仕事をしていました。小学・中学・高校の時は、いつも山へ連れていってくれました。大野町・中山の国有林、七飯町・西大沼・三井炭鉱汽船の民有林、八雲町・落部の民有林、森町・三岱の民有林、等々思い出が沢山あります。私は、父 45歳・母 42歳の時の子。今思えば、山へ連れて行くことが・父からすれば、会話の要らない・今流の体験学習だったのかも知れません。このため、広葉樹に対しての愛着が・人一倍強くなったんだと思います。言葉ではなく、父から自然と教えられた贈りものです。
広葉樹の下は、落葉が腐食し土がホクホクしてジユータンの上を歩く感じがしませんか。ところが、針葉樹の下はどうでしょう。油ぽくって・山野草も小木も余り育てない環境ですね。
ブナの木は、大きくなると一本の木から・20万枚の葉を落とすんだそうです。木の葉が・虫に羽根ふとんの暖かさをプレゼントします。虫が葉を食べ・フンをし、土づくりに協力します。虫は雨で川に流され、やがて海に。この虫がプランクトンに栄養を与え・魚のエサとなります。結果的には、魚のたんぱく源となり・人間に還元されます。広葉樹を植えるということは、人間社会の環境を良くするだけではなく、生活・健康の上でも貢献が大きいんです。
大野町には、1200ヘクタールの大野牧場があります。標高 400から600メートル台・とても気象条件の厳しい所です。近年・家畜の減少は、性急なものがあります。従って、牧場の果たす役割も、年々小さくなっているのが現状です。この現象・傾向はどんどん進むことは、否定できません。
大野牧場は、草地開発される前は大きな森林地帯でした。そこで、大野町100年の大計のもとに・森林復活をさせる運動を始めました。仮称のタイトルは、町民の手で育む郷土の大自然復興・一人ひとりの手でつなぐ未来の森・大野町「100年の森」づくり計画です。
ゆっくりでいいんです。孫さんへ・ひ孫さんへ・ドンドンバトンタッチをして、100年後 自然な姿の「大野町・大森林公園」。これを正夢にと・頑張っているんです。この運動の中心となるのが「町民植樹祭」です。
平成11年度 第一回町民植樹祭 参加 130人 ブナ 130本 苗木 寄贈
平成12年度 第二回町民植樹祭 参加 240人 ヤマザクラ・ナナカマド 各100本 苗木 寄贈
平成13年度 第三回町民植樹祭 参加 550人 カツラ 500本 アオダモ 1000本 苗木寄贈
平成14年度 第四回町民植樹祭 参加 850人 シラカバ・ブナ・ナナカマド・クリ・ヤマザクラ ・カツラほか 2200本 苗木寄贈 この他、協力してくれた団体の記録は、大野町ホームページ「みどりの森づくりの記録」をご覧下さい。
5月22日・函館新聞・表紙「臥牛山」に植樹の大切さが載りました。ご紹介いたします。
躍動的な季節を迎えたこの時期、道内各地で植樹の情報が飛び交う。森林の恩恵を考えると、植樹は欠かせないし、後世に緑を残すという今に生きる者の使命もある。その意識の広がりは植樹祭への参加数からもうかがえるが、もっと広がって然るべき・・・・・・・・。
植樹事業として必ず取り上げられる事例が、「帯広の森」。市街地を 緑の帯 で包もうという大胆な発想で始まって、既に約30年。今も続いているが、毎年この時期職場、団体、個人がこぞって植樹に参加。10年ほど前から枝を払う育樹祭も市民の手で行っている。
大事なのは、「自分たちもその任を担うという気持ち」の醸成・・・・・・・・。帯広はその点での実践例でもあるが、同じ視点で大野町の植樹祭が注目される。きじひき高原で始まってまだ4年。初年度の130人が、2年目は250人、3年目は550人と参加者を増やしている。
3年で植えられた木は、ブナやカツラなど1900本。そして12日に行われた今年は、実に850人が2150本の植え込みに汗を流した。さらに特筆されるのはこれほどの数を町内の苗木業者が寄贈していること。そこには行政と企業、住民の連帯が浮かび上がる。
紛れもないグラウンドワークの実践例。参加することによって愛着が沸き、自ずと足も運ぶ・・・・・・。それは運動施設も組み込まれた「帯広の森」が教えている。植樹祭は森と人をつくる掛けがえのない地域の財産づくり。来年は、そして再来年は・・・・・・・。同時に10年後、20年後のきじひき高原に 緑の夢 が膨らむ。
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