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◎考えさせられます。上甲晃さんのメッセージ



 松下政経塾元塾頭の上甲(じょうこう)晃さんは、一日生きていたら、一つぐらいは「感動ある生き方」をしたい。ひとつぐらいは「学びのある生き方」をしたい。
 そんな思いで毎日休まず書き続けています。
 その中から、5月1日・第3526号「墓参」を全文載せましたので、皆さんも読んで何かを得ていただければ幸いです。

 墓参
                                          平成13年5月1日 3526号
 和歌山に出掛けた機会を利用して、松下幸之助の墓参りをした。墓は、和歌山市内の千旦というところにある。紀ノ川に沿って、少し都心を離れた場所である。ここは、松下幸之助の生誕地でもある。生誕地に、墓が新しく建てられているのである。
 4日前の4月27日は、命日であった。墓に供えられている花も、まだ新しい。松下幸之助がこの世を去ったのは平成元年である。昭和天皇の後をすぐ追うかのような逝去であった。かくして一つの昭和が過ぎ去っていくと、感慨をもってその時をすごした記憶がよみがえる。
 墓は、かつてほど手入れが行き届いていないように見えた。数年前に墓参したとき、裏の家の人が、「私どもが墓の守をさせていただいております。」と物腰低く話しておられたのを記憶している。なるほど、この人たちが墓守していたら、墓も行き届くはずだと納得した。あの人たちが墓守していて、こんなに手入れが不十分なはずがないのにと、首を傾げた。
 私と同行していた『青年塾』の諸君が、すぐに腕まくりをして、墓の掃除を始めてくれた。「気がついたらすぐに行動に移ることができる」のはさすがである。私もまた、箒を手にして、落ち葉を掃いた。掃除の道具も最近使った形跡がない。明らかに、墓の手入れは、かつてほど行き届いていない。それが、何となく、一抹の寂しさを感じさせる。
 松下電器に勤務した最後の日、私は、松下幸之助の墓参りをした。それから満5年、私は、ここまで無事に歩めたこと、そして松下幸之助の話を多くの人たちに話させていただいたこと、そんな全てに対する感謝の心をこめて、墓に手を合わせた。
 一緒に行った人たちは、墓がそれほどきらびやかでもなく、大げさでもないことに好感をもってくれたようだ。現世の名誉欲をそのまま死後も誇るような墓を建てる人がいる。松下幸之助は、「本当は、一人一人が墓を建てていたら、日本中、墓だらけになる。私たちは、生命の源からこの世に生れ落ちて、また生命の源へと帰っていく。だから、墓は、国全体で一つあったら、それで十分なのだ。一人一人の墓を作るという考え方は、現世の価値観をひきづっている」と言ったことを記憶している。
 たしかに、「死んでまであの人と一緒はいや」などと言う言葉を聞いたりもする。「いや」という感情を表すのには、きわめてリアルな言い方ではあるが、だからと言って、一人に一つ墓石は要らないかも知れない。松下幸之助の墓も、「南無阿弥陀仏」と刻まれているだけ。墓石には、松下幸之助の名前はどこにもない。死して、なお権勢を誇らず。銘ずべし


   上甲晃さん主催の「志ネットワーク」では、ひと月分まとめて「デイリーメッセージ」を発行して
   おります。

    問い合わせは    大阪府堺市若松台3町3番17号
                 Tel 0722−91−0504
                 Fax 0722−91−0508
                 購読料=年間6,000円

  
上甲晃さんは、大野町で北海道青年塾を開講しています。
今年は、7月28日〜7月29日です。希望者は参加可能です。
吉田幸二宛メールでお知らせください。


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