平成13年12月18日・北海道新聞・ひと2001に、全国でただひとつ民間企業の倒産に当たる財政再建団体に指定され、指定解除にこぎつけた福岡県・赤池町長・水永康雄さんが紹介されました。
「国と県と私。町長が3人もいるようなもので、私の一存じゃ何もできなかった。何のために町長になったか分からんかった。」
「かっては町が繁栄し、自らも炭鉱に勤務、飲み屋や映画館。本当ににぎわってね。。一生安泰と言われていたんだけどな」
ところが、炭鉱の閉山で赤字の道をたどり、前町長に請われて町長になったのが1994年。
「町議会議員の時は言いっ放しでよかった。行政を預かるとそうはいかない。やるしかない。」
「冠婚葬祭への出席など金は次々出て行く。財政再建で給料は安いし家計は火の車。長くやったら財産無くしてしまうよ。」
急に増えたという白髪を触りながら「もう町長はこりこ゜り。」と笑った。
この記事、ご覧になったと思います。そこで、もう少し勉強し財政再建についていっしょに考えてみましょう。 以下の記述は、地方財務11月号の福岡県赤池町の記録「前赤池町財政課長・安武憲明 著」から抜粋させていただきました。
企業で言えば倒産「全国唯一の財政再建団体」になったのが平成4年2月14日。
財政破綻の主因は、基幹産業であった炭鉱閉山。働き盛りの人や若者は町を離れ、1万8千人の人口は8千人まで落ち込みました。
町は、新たな産業の誘致等に力を注ぎました。建設費も大きく増加しました。
その結果、公債費の著しい増加、各種施設の維持管理費増加、職員増に伴う人件費の増加を招いたのです。
昭和54年以降、国や県の関与が比較的少ない自主再建を目指しましたが、好転が見られず推移してきました。
しかし、追い討ちをかけたのが、土地開発公社の先行取得した約30ヘクタールの不良債務でした。平成2年末・22億円までふくらみました。
このため、町立病院等の分を含め32億円の赤字を出すことになりました。
そこで町は、「出直します赤池町。ふるさと赤池の将来を考え、準用財政再建団体の道を選択しました。
過去の行財政運営を厳しく受け止め再出発します。」と非常事態宣言し出発しました
32億円の赤字を解消するために取り組んだのが、「職員の人件費削減」「16課を13課に減少」「正職員113人を101人。臨時職員24人を10人に減少」でした。このほか、給与の措置・時間外手当の削減・特別職の報酬引き下げ・議員定数の削減でした。
更に、住民の負担も増加させました。水道料金・各種施設の利用料・公営住宅の家賃・学校給食費の値上げ・その上各種団体補助金も削減したのです。
住民負担が増加したということで、町の財政に関する関心が増大し、結果としてよい効果をもたらした。
以上に励んだ結果、12年間の予定を2年短縮しこのほど財政再建を終えたということです。
この10年間の不名誉な体験が、皮肉にも財政再建の先駆的な町として注目されています。
私たちも、自らの町の家計簿を、立ち止まって考えてみることが大切です。
ともあれ、赤池町の町民の皆さんに、ねぎらいの拍手を贈ります。おめでとうございます。
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